では認識作業によってバーチャル化された想像的現実ではないリアリティとしての現実世界の風景とはいかなるものであろうか。
リアリティとしての現実世界で最も根源的な法則は「自己保存の法則」であろう。
(※自己保存の法則が公称かどうかは不明であるが、私はこの名称を使用している)
この現実世界に顕れたいかなる存在も、自らその存在を消滅させようとしているものはない。いかなる存在も、自己自身をこの現実世界で保存(維持)しようとし、できることなれば、さらに自己を繁栄させようとしている。
それは人間のみならず、ウイルス、アメーバ、犬、猫、ライオン・・等々、現実世界のあらゆる存在が、この自己保存の法則に従っているのである。
しかしながら、この現実世界では、存在するものすべてに対し、その保存が保証されているわけではない。自己保存の法則はまた、その存在相互が対立するという「宿命」をもおびているのである。
存在相互の対立とは、「弱肉強食」、「自然淘汰」、「優性の法則」、「利己的遺伝子」・・等々の言葉で表現される対立であり、動物虐待反対を訴える愛護団体の人々が、その日の夕食で牛肉を食べ、魚を食している事実が、この対立の宿命性を如実に物語っている。
現実世界では、生きとし生けるもの自己の生存を賭けた戦いの日々であり、勝者は現実世界に生き残り、敗者は現実世界から消滅する。
自己保存の法則による対立淘汰のメカニズムには、人間が主張する正義や不正義、善や悪、正や邪・・等々の倫理的価値観は何等影響を及ぼさない。それがリアリティとしての現実世界の実像であり、かかる倫理的価値観は、人間社会における存在相互の対立抗争を適宜に制御する手段として、人間が便宜的に創った価値観であり、戦闘基準(ルール)として機能しているにすぎない。
人間社会以外の現実世界には、このような便宜的価値観や便宜的戦闘基準は存在しない。存在するのは自己保存を賭けた弱肉強食という、非情な価値観であり、戦闘基準である。
現実世界の風景とは、存在相互がその生存を賭け、全力で戦いに挑み、勝者は勝利の雄叫びをあげ、敗者は従容として軍門に下り、勝者の食膳に供される・・という厳然たる「自然風景」である。
かかる厳然たる現実風景は日々いたる所で目撃される生命運動メカニズムであり、自然は厳粛に・・、是非もなく・・、粛々と・・、ただ実行しているにすぎないのである。
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