エディット・リアリティとは編集的現実とでも訳されようか。編集工学研究所の松岡正剛氏の造語である。
現実の喪失とは、現実(リアリティ)が編集的現実(エディット・リアリティ)に置き換えられることである。現象学を創始した哲学者、フッサールは我々が眺める世界を「意識の地平」と表現したが、この意識の地平という考え方もエディット・リアリティと同質的思考である。我々は意識の地平と呼ばれる「意識で編集された現実世界」を眺めているのである。
我々が現実を喪失していく原因は、突き詰めると「意識を所有」するが故であることになる。人間以外の他の動物は明確な意識を所有しないが故に、現実を現実として、この現実世界に留め、現実を喪失することはないであろう。
一方、現実の象出は、シュレジンガーの波動方程式における波動関数の収縮によって語られる。波動方程式は、あらゆる可能性の確率をあらわし、その可能性としての確率の中から、観測という意識操作によって、波動関数が収縮し、ともなった現実が象出する。
波動関数を収縮させる観測という意識操作は、シュレジンガーが提案した「シュレジンガーの猫」という有名な思考実験において、その重要性がクローズアップされた。
量子論に懐疑的であったアインシュタインは「ねずみが観測したのでは波動関数(宇宙)は収縮せず、人間が観測すれば波動関数(宇宙)が収縮する」などという、この思考実験の帰結は、どこかがおかしいと痛烈に批判した。
量子論の何たるかを明確に説明できる人は未だいないが、この量子論から導かれた結果は、現実の宇宙諸現象に有効に適合し、機能することだけは確かであって、20世紀の電子工学の発展は、かかる量子論の展開なしにはあり得なかったのである。
以上を検討すれば、現実宇宙を象出(発生)させる役割を帯びた人間の意識操作(観測)と、現実宇宙を喪失(消失)させる役割を帯びた人間の意識操作(編集)という、「双方向の意識操作」が現実宇宙の生成に密接に関わっていることが理解されるであろう。
より簡潔に言えば、現実世界は「意識的観測によって発生」し、「意識的編集によって消失」するということである。
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