人間の行う決断が、詩となり、絵となるためには、その決断が「美意識」に支えられていなければならない。日本民族の誇りは、この「決断の美」に在ったと言うことができる。
武士道などはその典型であり、決断の美としての「行動の潔さ」が追求された。現代人が失ってしまったものは、この行動の潔さであり、それは、保身のために言を左右にする政治家、経営者、文化人・・等々を眺めれば歴然たるものである。
決断の美には、理由も説明もいらない。必要なものは、決断という「行為」のみであり、その行為が、すべてをあますところなく語っているのである。
つまり、決断の美は、その行為の潔さによって、裏打ちされるのである。
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