現実世界に実在化した人間は、「精神の漂泊者」のようである。
可能性の海である全体宇宙(暗在系)から、投影(実在化)された現実宇宙(明在系)は、時々刻々と万物事象を変化させて留まることがない「無常性の世界」である。
この無常性の世界を、古人は「浮世」という軽妙な言葉を使って表現したが、まさにこの世は、暗在系である全体宇宙としての可能性の海に、泡沫のように浮いているような世界である。泡沫はかつ生まれ、かつ消え、その泡沫の中に顕れた人間もまた、一粒の泡のごとく、一瞬も留まることなく、その海に漂泊する。
この世で確固たる存在と考える万物事象は、そのように確たるものとは言えず、人間意識の観測(意識化)よって、この世に、たまたま象出しているにすぎない。
最先端物理学は、万物事象の根源を成す物質が、量子レベルでは、波動性と粒子性の狭間で、ゆらぎの状態にあることを説明する。
かく述べる私もまた、時としてこの現実世界に、たまたま実在化した物質であり、その不確定性の世界に居住しているのである。
このような「不確定性の世界」で言える、確かなこと。
それは、身の周りに広がる宇宙に対して、「我、かく思う」という意識者(観測者)としての意識(観測)の実存性のみである。
我々は可能性の海(全体宇宙)を旅する「精神の漂泊者」のようであり、浮世と呼ばれる、この現実世界に、浮き草のように、あてどなく漂っているだけの存在なのかもしれない。
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