過去も未来も「現在」に含まれている。
昨日の私は、今日の私に含まれ、明日の私は、今日の私に含まれている。
全体宇宙としての可能性の海である暗在系から、明在系である現実宇宙として実在化した「現在」という空間は、一瞬も留まることなく千変万化する「刹那宇宙」である。
換言すれば、現在という空間は、常に「可能性のゆらぎ状態」の中にある。諸行は無常であり、万物は流転するのである。
この可能性の明滅にゆらぐ現在という空間に、もし確固たる永遠の真理があるとするならば、「あらゆる確固たる真理は、確固たる真理でない」という真理である。
あらゆる確かなことは、いずれ不確かなことに変化する。栄枯盛衰は歴史の必然であり、盛者必衰は歴史の理である。
人間社会は、時代が創った「道徳規範」によってコントロールされているが、この道徳規範もまた、唯一確固たるものではない。全体宇宙である可能性の海には、人間意識が考えられる限りの、あらゆる可能性が含まれている。現実世界として実在化しうる、無限の許容量を、その可能性の海は内蔵しているのである。
現在の道徳規範を、我々は、唯一絶対の教条のごとく考え、それに束縛されてしまうが、全体宇宙は、それを唯一絶対とは、規定していない。その道徳規範は、ほんの一例でしかないことを規定する。
宇宙が規定する道徳規範とは、善と悪、正と誤、大と小、増と減、美と醜、あれとこれ・・等々、「ペアポールの狭間」の空間で、可能性のゆらぎに明滅する、その「無常性」のみである。
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