宇宙全体である可能性の海としての暗在系から、この世に実在化した明在系である現実世界に存在する「万物事象」は、言うなれば我々の意識という「投影機」で投影された、投影像のような存在である。
我々の意識という投影機が消滅すれば、その投影像は、全体宇宙の暗在系に没し去る。
このようにあてどない万物事象の所有権を、あれこれ主張してみても、所詮は我々の意識が継続する間のことであり、意識の投影機が消滅(一般には臨終)すれば、これらの万物事象は泡のごとく消えてしまう。
粗末な庵で生涯を過ごした良寛が、慈しんだ貞心尼へ遺した辞世の句、「かたみとて 何残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」は、このような、この世の「うつせみの構造」を、彼がよく悟っていたことを物語っている。
良寛が愛したこの世の万物事象は、彼の意識がこの世に創りだした、「彼の意識の所有物」であり、この世の「形見」なのである。
このように、この世に実在化している万物事象は、全体宇宙である可能性の海から、我々の意識の投影機により、投影された投影像の、ほんの一例にしか過ぎない。
可能性の海としての暗在系には、意識できる限りの、あらゆる可能性が含まれているのであり、言うなれば「打ち出の木槌」なのである。
打ち出の木槌などというものは、この世には無いと、我々は考えているのであるが、まさに可能性の海である暗在系は、この打ち出の木槌に匹敵する。
そして、その打ち出の木槌を振るうのは、あなた自身の意識なのであり、つまるところ、万物事象の所有権とは、「あなた自身の意識の所有権」なのである。
依って、この世での、最大、最強の資産とは、「考える頭脳と思う心」となる。
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