この世の不条理や不遇のひとつひとつに腹を立てていたのでは、人間、体が幾つあっても足りない。
人間個々の欲求が、すべて「自己保存の法則」に従っている以上、相互の欲求のすべてが、ともに成り立つことは不可能である。ある人の欲求は、またある人の欲求を阻害することになるのは、必然の理である。
この時、阻害された人は、阻害した人に対し、腹を立て、口汚くののしることになるが、そのののしっている人自身が、またある時、今度は阻害する側に立つことになる。
自己の欲求を「主張」する人はまた、他者の欲求に対しても、「寛大」でなければならない。世の不条理や不遇に、いちいち腹を立ててはならないのである。
大人物とは「この構図」をよく理解している人であり、いかなる不条理や不遇をも、笑って、「平然と腹に納める」ことができるのである。この大度量が、自己に幸いをもたらすとともに、また多くの他者にも幸いをもたらす。
誰しも自分を非難する人よりも、自分を許容し、認めてくれる人を好きになるのは、必然のながれであり、このながれは、理屈ではなく、多く感情の問題なのである。
つまり、人はその「理に従う」のではなく、その「情に従う」のである。
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