人間意識が宇宙の編集基準として使用する「形」と「数」は、我々人類にとっての根本的な知的ツールである。
だがもしも宇宙の彼方から地球にやって来る異星人がいたとするならば、彼らのもつ編集基準はいったいいかなるものであろう。これは大いに興味ある問題である。
彼らが我々人類とまったく異なる編集基準を持っているようにも思うし、またまったく同じ編集基準を持っているようにも思われる。これらのことを想像すると、まさに我々の宇宙観は「あるひとつの編集基準」で構築された「あるひとつの宇宙風景」であることが理解される。
つまるところ我々が眺める宇宙風景は、我々自身の持つ編集基準で構築された特定の風景にしか過ぎないのである。
我々自身の編集基準が唯一絶対なものである保証がどこにもない以上、「別な宇宙がそこに存在する」こともまた否定できないのである。
「そこ」という場所指定は「あの編集基準によるあの宇宙」も「この編集基準によるこの宇宙」も「そこ」に在るという意味である。換言すれば、あの編集基準によるあの宇宙も、この編集基準によるこの宇宙も、同じそこに在るということであり、二重に複合しているということである。
このことは人間意識の編集基準により、宇宙が「フラクタル構造(入れ子構造)」を成していることを物語っている。
私著「Pairpole(物質編)」は、この世の有である物質を追求した宇宙探求物語であるが、この探求では「宇宙には大きさが無く、仕組みだけが存在する」という宇宙風景に到達した。そしてこの世の無である意識を追求した今回の宇宙探求物語もまた同じに「仕組みだけの宇宙」に到達したのである。この仕組みこそが「宇宙のフラクタル構造」に他ならない。
人類は5000年前のクフ王のピラミッドに象徴されるエジプト文明、ラムセス王やツタンカーメン王のファラオの時代から、4000年前のギリシア文明、ソクラテスやプラトンやアリストテレスなどの科学哲学の萌芽の時代、2700年前のローマ帝国建国、2000年前のキリスト生誕・・等々を経て、現在までさまざまな歴史風景をこの宇宙に創出し、「ここ」に至っている。
我々の辿った歴史風景はまた我々の持った意識の編集基準で構築された宇宙風景であり、人類における壮大な叙事詩と、雄大な歴史物語をこの地球という宇宙に創出したのである。
時代は21世紀をむかえ、我々人類の編集基準である「形」と「数」の知的ツールが、これからいったいいかなる宇宙風景を創出していくのか、期待がかけられるところではある。
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