有の周りには無が漂っている。有は単なる有ではなく、無が付帯した有である。
私は機械工学メカニズムの開発技術者であるが、とある技術的課題が解けずに数年考え続けることがある。その解けない課題の解決策(アイデア)が、ある日、考えるでもなく考えていてる意識状態の中で、突然ひらめくように、天から降ってくるように顕現することがある。それは車を走らせていて、とあるトンネルをぬけた瞬間であったり、電車に乗っていて、ぼんやりと車窓の風景を眺めていた瞬間であったりした。
このような現象の意味は、「ある場所(有)」には、「ある意識(無)」が付帯していると考えると納得がいく。
このある場所という有と、ある意識という無を、連結させるものが「意識ワームホール」ではなかろうか・・?
前述の例で説明すれば、トンネルの出口(有)と、技術的課題の解決策(無)とを、連結させた、考えるでもなく考えている、ぼんやりとした意識状態が、「思惟」であり、その思惟が、有と無の世界を繋ぐワームホールを、時空に開削したという構図である。
この世に存在するあらゆる有には、それぞれ固有の無が付帯しており、その有と無の連結は、その有と無の狭間に漂う、思惟によってもたらされるのではないか・・?
この意識メカニズムは、心理学者ユングが提唱した「共時性」に相似する。
時間軸に垂直な宇宙(刹那宇宙)の各部分を連結させるものが、共時性であろうということは以前に書いた。
刹那宇宙は時間軸に添って構成されている連続宇宙の断面宇宙であり、時間0の空間である。当然にして、時間経過で顕現する因果律は存在しない。
共時性とは、この刹那宇宙の各部(各場所)が、連鎖関連する現象であり、その連鎖を可能にするものが、この刹那宇宙に象出する「意味ある符号」の存在である。
何となく、あの人が通りの向こうからやって来るのではないかと思った瞬間に、その人が顕れるといった現象は、因果律では説明できない。このような現象に出逢うと、我々はもっぱら、それを「偶然」という言葉に置き換えて、処理してしまう。
だが、人によっては、その現象の中から、何らかの「意味ある符号」を見出す。その符号が、次なる展開での重要な原因となり、ある結果に行き着く。例えば、結婚することになる。このような時、人は「運命の出逢い」などと表現する。
ユングが言う、この「意味ある符号」を、有と無を連結させる「思惟」の別表現と考えたらどうであろうか。「意味ある符号」と「思惟」は限りなく相似する。
つまり、心理学者ユングは、有の周りに漂う無の構図を「共時性」という言葉で表現し、その有と無を連結させる意識ワームホールを構築する思惟を「意味ある符号」という言葉で表現したのではなかったか・・。
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