有の世界と無の世界を繋ぐ思惟とは何か・・?
換言すれば、生の世界と死の世界を繋ぎ、創造世界と破壊世界を繋ぐ「思惟の実像」とは何か・・?
我々の常識からは、生の世界から死の世界に瞬時に相転換できるような意識が存在するなどとは考えられない。我々の常識的な意識とは、生の世界を説明する、原因と結果で構成された「時間的な因果律認識」と、あれとこれから構成された「空間的な選別認識」のふたつの意識である。
この常識的意識に拘束されている限り、我々の意識は生の世界から死の世界に、創造世界から破壊世界に、瞬時に飛ぶことなどできない。つまり、有の世界と無の世界の狭間を自在に制御する思惟には到達できない。
我々の意識構造は有の世界のみを制御する、狭義の思惟であり、真の思惟とは、無の世界をも、同時に制御できなければならない。
般若心経が言う、「色即是空 空即是色」の思惟は、その構図に近いが、「有ると思うと無い、無いと思うと有る」などという意識は、一般常識では理解に苦しむものである。
また禅で言う、「無の概念」の思惟も、その構図に近いが、「10段しか無い階段の11段目を登れ」などという意識もまた、一般常識では意味が難解である。
思惟の一般概念もまた、現代日本の中では、今や消滅の危機に瀕している。ただ思惟という語句で、誰しも思いあたるものは、「思惟半跏像(しゆいはんかぞう)」ではなかろうか。俗称「弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)」と呼ばれ、京都広隆寺、奈良中宮寺の弥勒菩薩像が有名である。私は奈良中宮寺の弥勒菩薩像しか見てないが、漆黒の優美な像であり、飛鳥時代の作であると言われる。
奈良中宮寺の弥勒菩薩像について、和辻哲郎は、その著「古寺巡礼」の中で以下のように記述している。
・・・少々うつむきかげんに腰をおろし、右足を左足の上にのせ、左手はその右足をおさえるように置かれ、右手はほほにふれるか、ふれないように添えられている。そして、なにより美しいのは、その「思惟」の表情であった。目は軽くとじられ、口もとに何とも言えぬほほえみを浮かべている。それは静かな、そして深く考え込むというよりは、瞑想にひたっているようである。口もとに浮かべたほほえみはアルカイック・スマイル(古典的微笑)などと言われ・・・およそ愛の表現として、この像は世界の芸術の中に比類のない独特なものではないか。これよりも力強いもの、威厳あるもの、深いもの、あるいはこれより烈しい陶酔を現すもの、情熱を現すもの、それは世界に希でもあるまい。しかし、この純粋な愛と悲しみとの標号は、その曇りのない専念のゆえに、その徹底した柔らかさのゆえに、おそらく唯一の味を持つ・・・古くは古事記の歌から、新しくは情死の文学まで、ものの哀れと、しめやかな愛憎を核心とする日本人の芸術は、すでにここにその最もすぐれた、最も明らかな代表者をもっているのである。あの悲しく貴い半跏の観音像は、かくみれば、われわれの文化の出発点である・・・
尼寺としての静かなたたずまいをもつ境内を歩き、この思惟の像と最初に対面したのは、私がまだ22歳の若年であった頃、晩秋の柔らかい陽射しがふりそそぐ、とある日の昼下がりであった。だが30年の歳月が経過した今も、その日のことが鮮明に思い出されるのである。
およそ「思惟の実像」は、すでに当時、この像の中に凝縮され、充分に顕現していたのであろうが、悲しいかな、その意味を理解し、思惟の実像に回帰するのには、30年の歳月の経過が必要であったということであろうか・・。
和辻哲郎は、思惟とは、思いとも、考えとも、違うと言い、「瞑想」に近いと言っている。この種の瞑想は、インドの「ヨガの修法」の中に、また西欧の精神心理学で言うヒーリング法、「超越瞑想」の中にも顕れている。
これらの瞑想が、有と無を繋ぐ「意識ワームホール」の発見に至る道筋を提示するのかもしれない。おそらく空海もまた、深山幽谷の中で瞑想することにより、有と無の世界を自在に制御する、意識ワームホール「思惟」に到達したものと推量される。
これらを形象として表現したものが、思惟半跏像「弥勒菩薩像」に他ならず、今もなお古都奈良の西の京、斑鳩の里に、凛としてこの「うつせみの世」に、一点の光彩を放っている。
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