Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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世界で最も危険な動物
 ニューヨークの動物園には「鏡の間」という特別な場所があり、その鏡の間に立つと見学者自身の姿が、その鏡に映り、「The most dangerous animal in the world.」という標識を読む趣向になっているそうである。

 まさに世界で最も危険な動物とは、「人間」である。

 それは陸の王者「象」や、百獣の王「ライオン」の比ではない。この危険きわまりない動物が、生存を賭けて人間社会を構成しているのであるから、地球上はまさに、アフリカのサファリの危険度どころではない。
 他の動物であれば、その生存を賭けての闘いは、腕力を基とした、言うなれば単純な構図であるが、人間の場合は、その闘いが複雑怪奇なものとなる。

 種の保存本能である「弱肉強食」の単純法則が、人間の場合はまことに複雑に作用する。その原因は、人間の意識レベルが他の動物と比べて、格段に高いところから発生する。言うなれば、人間は「知恵」を所有した動物であるということである。

 この知恵を使った弱肉強食の闘いは、まさに巧妙で、狡猾な様相を呈する。時として、人間は弱者をよそおい、強者の寝首をかくこともするのである。

 人間の知恵は、強力な武器であり、世界で最も危険な動物である所以は、この強力な知恵を使うことにある。肉体的弱者であった人間は、この強力な武器を駆使し、肉体的強者を倒してきたのである。

 この強力な武器は、使用する人間がおかれた、それぞれの自己保存本能の状況により、千変万化する。知恵で武装した100人の人間がいれば、その知恵の働かせ方により、100通りの闘いが顕現する。自己の保存本能を正統化することが、人間の本質であるが、その自己を正当化する知恵の、どれが善であり、どれが悪であるか、決定することは不可能である。利己的遺伝子とは、まさに言い得て妙である。結局、この闘いでの善悪の基準は、100人の自己保存本能による、妥協の産物となり、世の人々は、これを常識と呼び、また社会倫理と呼んでいるのである。

 したがって、人間社会で発生する利害の衝突は、必然的な帰結である。

 人間社会での、優良な指導者とは、この利己的遺伝子の「利害の調整者」であり、「真理の提唱者」ではないことを、よくよく念頭に置いておかなければならない。

 人間社会では、他の人間の自己保存本能に逆らわなければ、まず安全であるが、ひとたび、その道を塞ぐようなことをすれば、人間という動物は、まさに凶暴な知恵を発揮し、必ずや危害は自身に及ぶのである。その凶暴さは、虎の尾を踏んだ程度では済まないのである。

2003.4.01

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