過去と未来の狭間に存在する宇宙が現在であるが、この現在という宇宙は特異な宇宙である。
なにげなくこの現在という宇宙を通過する人もいれば、この宇宙にすべてを賭ける人もいる。これらのさまざまな人間模様が展開されるのが、現在と呼ばれる宇宙の様相である。
未来は未確定なのか、それとも確定されたものなのか・・?
小説は過去・現在・未来を必然性をもって描写した、確定された世界である。
だが現実としての現在は、何とも得体の知れない、未知数の世界である。
物事は「やらなくてもわかる」のか、
それとも、「やってみなければわからない」のか・・?
これは特異な現在宇宙が抱える、永遠の課題である。
この構図は、因果律を基礎とする古典ニュートン力学と、確率論を基礎とする近代量子力学との対比構造に相似する。
前者は時間が連続する時空間(連続宇宙)の中で語られる世界の描写であり、後者は時間0の時空間(刹那宇宙)の中で語られる世界の描写である。
前者は過去・現在・未来を必然性をもって描写した、確定された小説世界と等価であり、後者は我々が直面する現在という得体の知れない、未知数の現実世界と等価である。
事実は小説のごとくなのか、はたまた小説より奇なりなのか・・?
この視点の異なりによって、なにげなく現在を通過する人と、すべてをこの現在に賭ける人が、過去と未来の狭間の宇宙(現在)に混在することになる。
前者が正しければ、「後者は徒労」であり、後者が正しければ、「前者は無能」である。
おそらく、現在という刹那宇宙は、この人間の「徒労と無能」の意識が、渾然一体となって宇宙スクリーンに投射した、曼陀羅模様の風景なのであろう。
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