Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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無の存在意義
 我々は目に見える世界に生きている。
 だが私が使用する携帯電話の電波は目に見えない。その見えない電波を使用して何千キロ離れた、それも何億人の中から選択された、とある特定の人と会話ができる。
 アインシュタインの相対性理論はエネルギが物質の質量と光速度の二乗の積であることを示したが、そのエネルギを目で見ることはできない。
 現代人はこれらの目に見えない現象を宇宙の中から見つけだし、それを生活に利用して生きている。
 量子論物理学者ディラックは、真空とは「何も無い」のではなく、「虚のエネルギで満ちている」と言う。彼はその虚のエネルギで満ちている真空から「電子」と「陽電子」というマイナスとプラスの電荷を持った「一対の素粒子(物質)」が生まれることを明らかにした。 「無からの有の発生」である。 またこの一対の電子と陽電子の素粒子は光を放ち対消滅をする。 「有からの無への消滅」である。
 電子は「物質」であり、陽電子は「反物質」と呼ばれる。物質は物質ではない反物質と一対となることで物質であり得、逆に反物質は物質と一対となることで反物質であり得る。
 換言すれば、有は無と一対となることで有として存在し得、無は有と一対となることで無として存在し得る。 つまり、我々が目にする世界は、目に見えない世界が存在することで存在している。
 同様に、実は虚で支えられ、自由は不自由で支えられ、幸福は不幸で支えられ、喜びは悲しみで支えられ、安定は不安定で支えられ、富者は貧者で支えられているのである。
 無の存在はかくも偉大であり、無の存在がなければ、我々が日々とやかく言っている目に見える有の意味はあとかたもなく消滅してしまう。
 無の存在意義である。

2003.3.10


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