平安時代には平安の思いが、鎌倉時代には鎌倉の思いが存在した。
同様に室町時代にも、江戸時代にも、明治時代にも、大正時代にも、昭和の時代にもその時代の思いが存在した。
その時代の思いがその時代の時空に彩りを与えたのである。
先年、辻邦生氏が没したが、ちょうど亡くなられた日に氏の著書である「西行花伝」の終章を読んでいた。西行はずっと気になる人であったのだが、その西行その人に関するまとまった著作を読む機会には恵まれなかったのである。その西行をようようにして読もうと手にしたのが氏の「西行花伝」であった。
辻氏の作品を読むのはこれが初めてであり、それを読んでいたまさにその時、氏がこの世を去るとは心理学者、ユングの言う共時性のメカニズムを感じざるを得ない現象であった。
翌日の新聞記事にて、辻氏の最後の作品の表題が「のちの思いに」というものであり、それが氏と同様に軽井沢を深く愛した立原道造の詩の題名からのものであること、また氏がこの「のちの思いに」という表題を大変に気に入っていたこと等を知った。
おそらく辻氏は現世の生涯を通して平安朝末期に生きた「西行の思い」に同化して生き抜いたのではなかったか・・。その思いを生ききった後で、後世の時代に生まれてくるであろう人々に対して、今度は氏自身の「思い」を遺したかったのではなかったか・・。
「のちの思いに」という最後の作品の表題の意味は辻氏のその願望とピッタリと一致したものであったのであろう。
およそ人の臨終の言葉として最もふさわしいものは、「それでは皆さん、いつかまたどこかで・・」というものであるとは、以前に記したことである。
私は「時空とは意識の巡り逢いの場」ではないかと考えている。
物質を極限まで追求した時に現れてくるものは「無」である。物理学者、ディラックは物質の根源的要素である陽電子(反物質)と電子(物質)のペア粒子が真空(無)から発生することを明らかにした。
また宇宙構造は際限なく同じ構造をなした入れ子状(フラクタル構造)を成し、マクロ宇宙とミクロ宇宙の区分けなどはどこにも存在しない。
そして「宇宙には大きさがなく、仕組みだけがある」とは、私著「ペアポール(物質編)」の帰結であった。それはまた哲学者、ハイデッカーが言った「なぜいったい、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのではないのか・・?」という地点でもある。
我々が唯一無二の実在と考える物質的な実空間が実在たりえず、むしろ意識的な虚空間こそが実在であるとする実在相の大反転の仮説に至ったのである。換言すれば、意識が主体であり、物質が従体とする視点である。
平安の時代には平安の意識が発生させた時空が存在し、鎌倉の時代にはその鎌倉の意識が発生させた時空が存在した。
我々は平安の時空や鎌倉の時空に象出した万物事象を、その当時の人々が記録した文献、描いた絵画などを通して知ることができるが、これらの文献や絵画は当時の人々がもった意識により創出されたものである。
また同様に、現代人である我々においても、それらの時代意識をまた現代の我々の意識をもって理解するのである。
つまり、実在するものは「意識」そのものである。
辻邦生氏の「のちの思い」とは「この意識のこと」であり、私の言う「時空とは意識の巡り逢いの場である」もまた「この意識のこと」である。
「それでは皆さん、いつかまたどこかで」という辞世の言葉は、意識は時代を巡って再び回帰してくることに他ならない。
辻邦生氏の生命体としての物質物体はこの世から消滅したが、氏の意識はいつか再び、西行の思いとともに「のちの思い」として、「のちの時代」に蘇るであろう。
その時代が過去の時空か、はたまた未来の時空かは定かではないが・・・。
|