人類が構築した社会システムとはそれぞれの人間の立場を組織化したものであり、この組織化は民主国家であれば社会全体の繁栄を目的として構築される。
組織の一員である個々人の価値観はこの社会目的達成にそって、各人が獲得できる個人的繁栄の最大値を計算するものとなる。
通常、この最大値の計算を「打算」と呼ぶ。つまり、打算的とはこの計算能力の優劣を表現したものである。
この社会目的達成に向けての打算は個々人の物質的繁栄には貢献するが、個々人が達成を目指す人生目的である意識的繁栄に寄与するかは不明である。
個々人が目指す意識的な人生目的は「計算される」ようなものではなく、無形で、無量な「思いの構造」による。
現代人は今、打算から発現した物質至上主義社会システムがもたらした閉塞空間に陥ってしまっている。
この閉塞空間を突破できるものは、この打算を捨て去ったところに発現する「高い思い」である。換言すれば「志操」である。
現代日本人は世界で1、2を争うぐらい打算的ではあるが、志操的かどうかはまた不明である。
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