ニヒリズム超克の道は刹那宇宙のPairpoleの狭間にある。
この世は絶対的対称性の内蔵秩序に支配されている。それは「あれ」か「これ」かであり、「在る」か「無い」かであり、「良い」か「悪い」かであり、「○」か「×」かであり・・等々である。これらの視点は「固定観念」という言葉に還元される。
一方、この世に変化しないものはなく、森羅万象ものみなすべては「生々流転」し、「自生自化」して行く。この世のすべては相対的な存在である。これらの視点は「浮遊観念」という言葉に還元される。
Pairpoleの狭間に漂う観念とはこの浮遊する観念である。それは禅で言う「風鈴は虚空に架かる」という観念である。
ニヒリズム超克の道はこの浮遊観念にある。
浮遊観念とは絶対的な固定観念の拘束から脱却した、すべてを許容する、こだわりなき相対的な観念である。
ニヒリズムを脱却した者とは、つまり「虚空に架かり」、「狭間に遊ぶ」者である。
生々流転し、自生自化する相対的浮遊観念で語られる宇宙は日本の古き世で「浮き世」と表現された。浮き世とはまた仏教で語られる「曼陀羅世界」である。
刹那宇宙のPairpoleの狭間の世界では、さまざまな万物事象が光彩を放ち、自生自化し、生々流転している。
それは「カオスの宇宙」であり、さらに言えば「可能性の海」である。
そのカオスの海から、意識選択(観測)によって「浮き世」が象出する。
また意識の生死で言えば、「意識の生とは浮遊観念」のことであり、「意識の死とは固定観念」のことである。
この世の森羅万象ものみなすべて、「虚空に架かり、浮き世の狭間に遊ぶもの」である。
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