物質宇宙の根底をなすものは物理科学的な認識であり、この物理科学の基準は「光」の存在である。
現代、物理科学の法則は光速度を係数として組み込んだ方程式で記述されている。
この物質宇宙の活力であるエネルギは物質の重さ(質量)に光速度の2乗を掛けたもので表現される。有名な「アインシュタイン方程式」である。
しかし、意識宇宙の根底をなすものは心理哲学的な認識であり、この心理哲学の基準は「意識」の存在である。
物質宇宙で大問題なことは「眼に見える見えない」ということであり、現代人は眼に見えないものは「信用」しない。かたや、意識宇宙で大問題なことは「心に思える思えない」ということであり、思えないものは「存在」しないものである。
眼に見える見えないという世界は「光」を基準とした世界であり、心に思える思えないという世界は「意識」を基準とした世界である。
俗に「心眼」をもってとらえるという言い方があるが、この心眼とは光に頼らないで意識で物事を「観る」ことである。だが曇った眼球では物事を鮮明に見ることができないように、曇った心では物事を鮮明に観ることができない。
現代人の心は、人類が長い期間にわたり積み上げてきた「あれとこれ」という区別認識と「原因と結果」という因果律認識で構成された日常性という強靱な不透明膜で覆われている。この不透明膜を除去するものこそ、非日常性という意識であり、この不透明膜を取り去った心によってこそ、この宇宙の実像を観ることが可能になる。
眼球をもって見える世界とは宇宙実像の一部であり、これに心眼をもって見える世界を加えなければ宇宙実像の全部とはならない。
見えるものしか信じないという現代人の姿勢は誠に「意固地な姿勢」であると言わざるを得ない。これからは「見る」ことよりも、「観る」ことをしなければならないのである。
|