Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
Turn

歴史物語の変換
 「歴史とはその歴史上に登場した、あらゆる人々の意識の集合体で構成される」と歴史作家、司馬遼太郎氏が述べている。

 これは私の言う「意識が現実の物質世界を構築する」という考え方を、歴史構成のメカニズムとして述べている。

 歴史作家の仕事とは過去の時空間に焦点をあて、その時空間を分析し、描写する作業である。幾つもの時空間を切り取って、分析を重ねていくうちに、司馬氏にはその時空間が時間軸に添って「連なって」存在しているというよりも、その時空間が時間軸に関係なく一体的に「重なって」存在しているように観えてきたのではなかろうか・・?

 その構造は心理学者、ユングが言う「集団的無意識」と同様の構造をもち、イギリスの天才科学者、シェルドレイクが言う「形態共鳴仮説」と同様の構造をもち、物理学者、デビット・ボームが言う「宇宙の暗在系と明在系」と同様の構造をもつ。

 集団的無意識は我々の意識が宇宙のあらゆる意識とつながっているということを、形態共鳴仮説は過去に一度でも起きたことは未来にも必ず起きるということを(これを過去との共鳴と言う)、宇宙の暗在系と明在系は我々が体験し目撃するこの世界の諸事象は我々が認識することができない暗在系に存在する内蔵秩序がこの現実空間に投影した影であることを語っている。

 宇宙が意識を主体として構築されているという「基本フレーム」はこれらの直観と予感から構成されるものである。

 時間軸に添って過去から未来に「連なっている」とする従来の歴史物語は、やがては過去も未来もなく一体的に「重なっている」という新たな歴史物語に変更されるかもしれない。

 そしてこの「歴史物語の変換」は時間軸に添って連なった日常的な歴史空間から、時間軸に関係なく一体的に重なった非日常的な歴識空間へ掛け渡された「時空のトンネル」である「意識のワームホール」を通過することにより可能になるであろう。

 我々は歴史小説を「物質存在の物語」として読むのではなく、さまざまな意識が織りなした「意識存在の物語」として読まなければならないのである。

2002.10.04

copyright © Squarenet