私著「ペアポール(物質編)」の帰結は「宇宙には大きさが無く、仕組みだけが在る」というものであった。
大きさが無く、仕組みだけが在るとはいったい「何を語っている」のであろうか。古今、唯物的思考と唯識的思考は人間社会の中で対立してきた思考である。
唯物的思考の思考要素は「形」、「大きさ」、「重さ」等の具象であり、唯識的思考の思考要素は「思い」、「信念」、「魂」等の抽象である。
この思考概念でペアポール(物質編)の帰結を言い換えれば、「宇宙には唯物は無く、唯識だけが在る」となる。つまり、「大きさは唯物的具象概念」であり、「仕組みとは唯識的抽象概念」である。仕組みの概念とは換言すれば意識の構造概念であり、さらに言えば「仕組みとは意識メカニズム」である。
ゆえに、我々が構築している社会システムは、人間の意識が構築した仕組みであり、メカニズムである。国家の仕組み、政治の仕組み、会社の仕組み、販売・物流の仕組み、冠婚葬祭の儀礼の仕組み、村内の論理、さまざまな法規、法律等々、人間社会を構築するあらゆるものは全て仕組みであり、メカニズムである。戦争さえも、ある種の仕組みが作用して発生するメカニズムである。
つまり、ペアポール(物質編)の帰結は、この宇宙は唯識的抽象概念である意識の仕組みが主体であり、唯物的具象概念の物質はその主体である意識が投影した影であるとなる。
物質造形の多様さ彩色の妙は全て意識の姿と形であり、意識のアナログ的幾何学表現である。アナログ的図形表現はデジタル的数字表現よりも情報の伝達能力が格段に高容量であり、優れている。それは言葉というデジタル数字を使用した文章と、映像というアナログ図形を使用した写真で、伝達情報量を比較すれば納得がいくことである。
宇宙が主体意識の表現として、物質の姿と形というアナログ量を使用した必然性はこの情報伝達能力の高容量・高能率の特性ゆえであろう。我々の意識はこれらの物質的な姿と形から、それぞれの意識を理解し、相互に高容量の意識交信をしているのである。
喜びに輝く顔や、悲しさに沈んだ顔から我々は、なんと多くの意識を受信できることであろうか。
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