三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
空海の悟りとは、この宇宙が意識によってできていることの自覚であったのか・・?
三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らずとは、人はこのことを意識することも、知ることもないということか・・?
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥しとは、この意識が暗く、そして冥い混沌とした無限のエネルギで満ちた「宇宙の可能性の海である集団的無意識の大海(暗在系の内蔵秩序)」から来たりて、再びそこに去ることを言うのか・・?
我々が実在性として信じているこの「時空間的現実」は意識が創造主として構築した「意識世界」であるのか・・?
「意識」と「実在」との狭間には「生と死」という出来事が密接に関係している。「意識来るを生」、「意識去るが死」という構図である。
であれば、この世で生きているのは意識であり、体という物体は意識の仮の宿にしか過ぎない。つまり、しっかり生きるとは、しっかりした意識で生きることに帰着する。 |