ところがニュートンから200年ほどして非常におかしなことが出てきちゃったんですね。
それが今言ったこれ→(E=mc2)ですね、その光の速度。この光速っていうものが、つまり、光っていうのは、この宇宙の中で非常に特殊な存在なんですね。
一般にニュートンの方程式でいくと、例えばエスカレータが右から左に動いているとしますね。その上で人間が歩いたら人間のスピードっていうのは地上から見るとエスカレータのスピードにその上を歩いている人間のスピードを足したものに見えるわけですね。
逆にエスカレータの進行方向と反対に歩くとエスカレータのスピードから人間の歩くスピードを引いた速度に、エスカレータに乗っていない人から見るとそういうスピードに見えるわけですね。
ところが光だけはそうはいかないんですね。新幹線の中だろうが、あるいはエスカレータの上だろうが、どこでも光は一定なんですね。速度が一定であると。
これはまあ、今までのニュートン力学からするとちょっと考えられないことなんですね。どっちへいっても光のスピードは変らない。新幹線の中で走る光も、地上から見ても新幹線の中も全く同じスピードなんですね。
実際にその新幹線の中を皆さんが走れば、地上にいる人からすれば新幹線のスピードに皆さんの走るスピードを足したものに見えるんですけども、光はそうはいかなくて、いつも同じなんですね。いつも30万キロメートルパーセク(30万Km/s)なんですね。あらゆる方向に対して一定であると。
これを証明したのは、アメリカのマイケルソンとモーリーっていう人が、地球ですね、地球っていうのは自転するわけですけども、つまり、その自転方向に走る光と自転と垂直方向に走る光のスピードを測定したわけです。
ところが地球の回転方向に走っていく光も、垂直方向に走る光も全く同じなんですね。こういうことは今までのニュートン力学からするとあり得ないことで、あらゆるところにおいて光の速度は変らない。非常に不思議なことだった。
これは19世紀末から非常に喧々諤々(けんけんがくがく)の論争になって、「一体光とは何だ」と・・。
実際その光っていうのはまた不思議な性格があって、光っていうのは「波動」であると共に「粒子」なんですね。ですから光は波であると共にこういった→(手に持ったチョーク)物質的粒子でもあると。
ところが光を粒子だというふうに観測した途端に波動性っていう波の性質は消えてしまう。逆にその波の性質を観測した途端に粒子の性質は消えてしまうということで、「光は粒子であり波動である」という話なんですね。
これは今までの考えでは考えられないことなわけですね。
アインシュタインは実は科学者っていうよりも、あんまり学校では評価されない人だったわけですね。大学で就職できなかったものですから、スイスのベルンっていう町の特許庁ですね。特許の審査をする特許庁の技官としてサラリーマンをやっておったわけですね。ただその中で光に注目したんですね。
であれば、ニュートンはあらゆるところで「時間が一定に流れる」ということを「定義」して方程式を立てたんで、私は今度は、光速があらゆる方向で一定であるんだったら、その「光速が一定だということのもとに」この方程式を立てようとこういうふうに思ったわけですね。
ここが実はニュートンとアインシュタインの非常に大きな違いなわけですね。
かたや「時間は一定に流れるというふうに考えたニュートン」と「光速があらゆる方向で一定であるというところに注目したアインシュタイン」の違いですね。
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