相対的真理に法則性はないのかというと、やっぱり法則性っていうのはあるわけですね。
その相対的真理の法則性っていうのは、私は「自己保存の法則」という名前をつけているんですけども、自分の立場だとか、あるいは自分が繁栄する、あるいは身分が保障される、自己が保存されるという目的によって真理が確定してくるということをもって、自己を保存する法則に従って、その真理が決定するというのが相対的真理なわけですね。
今盛んに、今日もそうだと思うんですけども、イラクへの日本の自衛隊派遣どうするんだとこういう話をしていますけども、世界の人からみると今アメリカのやっていることが果たして正しいのか正しくないのか。
それに対して日本が追従することが正しいのか正しくないのかということにおいて両方の見方が出てくるわけですね。
アメリカには正義がないという人もいますし。いやそうじゃない。それは日本も協力しなきゃいかんのだという、いろいろあるんですが、結果のところ、その真理はどこで確定しているかというと、多数決ということで、世界じゅうの人が手を挙げて、7割の人が正しいと言えば正しいということになってくるわけですね。
これはまあ相対的真理の宿命なのかもしれません。ただ、相対的真理があまりにも今その幅をきかせてしまって、逆に科学的真理の方が引っ込んでしまっている。
つまり「無理が通れば道理引っ込む」というような話なわけですが、そういう状況になってきている。
私が子供の頃、じいさん、ばあさんから、何か悪いことをしていると「お前そんなことをやっていると罰(バチ)が当たるぞ」とこう言われるわけですね。その「罰が当たる」っていうのは、つまりどういうことかということなんですけども、ある種その、天を畏れるという気持ちが我々の子供の頃にはあったわけです。ですから人が見ていなくても、こんなことをしていると、なんか天の怒りをかって罰が当たるんじゃないかという感覚があったんですが、どうも現代をみると、そういう感覚がどこかへ行っちゃって、逆にその天の真理まで社会の真理によってコントロールしようみたいな逆転した状況になってきちゃっているというのが、今の悲しい状況ではないかなというふうに思います。
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