別名、その相対的真理っていうのは「立場の真理」とも言えるわけですね。私は今年優勝した阪神の星野監督の話を聞いたことがあるんですけども、星野監督というのは若い頃、門限は守らない、あるいは監督には盾を突く、まあ非常に野生児の選手だったわけですね。監督になって選手に対してものすごい厳しい指導をする。
あるとき選手が星野監督に「監督も若い頃には門限は守らない、むちゃくちゃやったと。だからもう少し我々のことを大目にみてくれてもいいんじゃないか・・」とこういうふうに星野監督に言ったんですね。
そうしたら星野監督は「バカ言っちゃいかん。いまや僕は監督だよ。選手とは立場が違う」とこう言うわけですね。つまり立場が違うと今度は、星野監督は「門限は守りなさい」とこうなるわけですね。
ですから学校もそうだと思うんですけども、生徒には生徒の立場があり、先生には先生の立場がある。ですから生徒の立場からみるとこれが正しい。先生の立場からみるとこれが正しい、ということで両方とも正しいわけですね。
ですから10人いれば10人の真理がある。世の中、社会っていうのは、その立場の真理のバトル・ロイヤルみたいな状況になっているというふうに言った方がいいのかもしれません。
よくこの絶対的真理と相対的真理がごちゃ混ぜになってしまうわけですね。社会的真理に科学的真理を持ち込んで「あんたの言うことは絶対おかしい」という場合もありますし、あるいは社会的真理をもって科学的真理に踏込んできて「いや、氷でお茶は沸くんだ」というような話になる場合もある。
つまり今の時代は2つの真理がごちゃ混ぜになっているというのが実情ではないかなというふうに思います。
|