日本の古代風景の説明はこのくらいにして、いよいよ安曇野の古代風景を描写してみよう。
先年亡くなった歴史作家、司馬遼太郎氏によれば「安曇」とは海洋民族の一氏族であると言う。この海洋民族こそ南方系、舟の民族であり、この氏族が内陸に移り住み地名として痕跡を遺したのである。これと同様な地名として伊豆の「熱海」、東海の「渥美」をあげており、ともに舟の民族の足跡を地名として遺している。私はこれに「奄美」も入るであろうと考えている。九州と沖縄の間にある奄美諸島の奄美である。この島に伝わる風習や儀式の多くにインドシナ文化の特徴であるタオイズムが漂う。
私は文字は時空の窓であると考えている。漢字は万物事象の形から創られた象形文字であり、文字自身が意味を顕わす「表意文字」である。かたや西欧の文字は「表音文字」と呼ばれ、音を顕わす文字でしかない。
漢字は現代人が忘れ去ってしまった幾つかの過去時空の物語を動物の化石や文明の遺跡と同じようにその文字の中に遺している。難しく言えば時空が文字の中に「表象」しているのである。
文字を眺めているとその文字という窓から過去時空の風景がかいま見えてくる。つまり、現代の日本人がピンとこない「安曇」という文字には安曇野が辿った過去時空が表象しているのである。
日本文化の中核を成す漢字文化はこの意味で貴重な文化遺産である。
安曇野の人々の祖先は舟の文化を背負いインドシナ→奄美→渥美→熱海→安曇と遙かな歴史を旅をしてきた性格穏やかな南方系民族である。
安曇野のほぼ中央に位置する穂高神社では舟が祀られていると聞いた。この島に渡った原因でもある舟を祀るのに何ら疑問はなく、これもまた安曇人が南方系、舟の民族であることの痕跡であろう。
安曇野には漢字よりも古い日本最古の文字「アヒル文字」が刻まれた遺石があることをかって何かの本で読んだことがある。私は未だその遺石を目にしてはいないがおそらくその文字形は現在のタイ語などに表象されるヒゲ状の文字に似かよっているのではないかと想像している。
またタイやベトナムなどインドシナ半島の現代語の中に「あまみ、あつみ、あたみ、あづみ」などの言葉の音を捜してみるのも面白いと思う。その音の言葉が何を意味するのかにも興味がある。多忙な日常にかまけてこれらを探求する機会がいまだにもてない。いつかゆっくりと考えてみたいものである。
司馬遼太郎氏は渥美、熱海などの海岸線に住み着いた舟の民族が内陸に移り住み安曇に至ったとしているが私には釈然としない疑問が残る。
「海こそふるさと」というその思いを捨ててまで海の無い内陸の安曇野に移り住むことにはそれなりの大きな動機がなければならない。
私はその動機を出雲の沖合いにある隠岐島で最後をとげた南方系、舟の民族の族長「大国主尊」の物語の中に見る。 |
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