こうして穏やかに暮らしていた人々にもやがて転機が訪れる。「馬の文化」の到来である。
馬の文化は北方系民族、つまり中国大陸の北部アルタイ民族に源を発する騎馬民族であろう。この北方系民族は南方系民族と異なり好戦的で気が荒い。これは温暖と寒冷の両者の気候の異なりがこの人格形成に多大に影響したものと考えられる。
この騎馬民族が朝鮮半島を南下し日本に渡って来た。そしてそこに暮らす穏やかな南方系、舟の民族を圧迫する。この民族紛争の勝敗は明らかであり、好戦的で気が荒い北方系、馬の民族が勝利をおさめる。
この間のくだりを語るものが日本神話に遺る「国譲りの話」なのではないかと私は考えている。また出雲の国に遺るさまざまな神話はその痕跡であろう。出雲の沖合いにある隠岐島で最後をとげた「大国主尊(おおくにぬしのみこと)」こそ舟の民族の族長であったのではないか。この尊に漂う徳性を備えた穏健でゆったりとした人格こそタオイズムから発生する南方系、舟の民族の特徴である。
国の主権者はこの時をもって馬の民族に移り、その後この国には「馬の文化」が展開する。神話時代以後、日本史に史実として登場する大和朝廷とはこの北方系、馬の民族の末裔が樹立した政権である。現在の天皇家はこの血筋をくむものであるとされる。
しかしこのふたつの異質の文化が極東の島国で出会い融合したことは歴史的に大きな意味をもった。日本民族の優秀さはこの文化の二面性の融合にこそある。
日本人は温厚と過激の両面をもつ。切腹や神風特攻隊のような過激な行動は世界にも例がない。また広島、長崎に原爆を落とされても米国を強く恨むようなことをしない穏健さも兼ね備えている。
また緻密さといいかげんさの両面をもつ。日本の工業製品の品質は世界一の緻密さから生まれ、日本の政治外交姿勢はまことにファジーそのものである。
文明的に立ち遅れていた極東の島国が明治維新以来の近代化をまれにみる短期間で成し遂げ、GNP世界第2位になるほどに発展したことは歴史的奇跡であると言われる。この原因もまたこの南方系「舟の文化」と北方系「馬の文化」の融合にあったとすることができよう。
日本人の顔もこのふたつの民族の顔が併存する。つまり「狸顔」と「狐顔」である。前者は南方系、後者は北方系である。この○と△の顔かたちでおおよその人格が確定する。それは狸と狐に代表される性格の違いであり、遙か時空の彼方にあった南方系と北方系の民族の血の異なりである。
日本を訪れる南方系のベトナムやタイの人々の顔や北方系の韓国の人々の顔を眺める時、我々とのあまりの類似性に驚くのは私だけではあるまい。それは日本民族が背負った遠い過去の記憶の断象である。
また日本人の宗教観も異質である。仏教あり、神教あり、キリスト教あり、道教あり、儒教あり等々。これらの宗教のすべてを許容する人間性はこれまた世界に例を見ない。この人間性もこのふたつの文化の融合によるところ大であろう。 |
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