松本市民タイムスに連載した現代社会世相の描写
安曇野エッセイ
ナンバーワンからオンリーワンへ
戦後貧困の中から日本は「ナンバーワン」を目指して日夜奔走してきた。
我々はこのナンバーワンに向かって学校で成績を競い、社会に出ては業績を競ってきた。一番になれなければ「意味が無い」というこの思想は日本人の人格形成に多大に影響を与えてきた。成績さえ一番であれば、業績さえ一番であれば、という生き方は人間から人格と個性を喪失させ、肩書きという「レッテル」に置き換える。
我々人間は血の通った「生きもの」であり、レッテルではない。人間の遺伝子はひとつとして同じものがない、それぞれ異なった「オンリーワン」である。花の世界を考えてみればよい。バラもあればユリもあれば菊も桜もある。この花の中でナンバーワンを唱えることは詮無いことではないか。すべてはオンリーワンの異なった花の人格と個性である。
もしすべての価値がナンバーワンとしたバラにあるとすれば、この世はバラだらけの世界となってしまう。皆同じ顔をした世界であなたは「生きる意味」を見出すであろうか。人間とて同じ、互いに異なった人格と個性に満ちた、おもしろき、そして飽くことなき哀憐の存在である。大工の棟梁しかり、屋台の親父さんしかり、太ったおばさんしかり、やせたおばさんしかり・・かく見れば、限りない魅力をたたえ、愛さずにおかない珠玉の輝きを放っている。
オンリーワンとはかくこのように、かけがえのない「ただひとつ」のものである。
しかして、ナンバーワンには余裕が無い。この必達には昼夜を分かたぬ刻苦勉励をあてなければならない。だがしかし、オンリーワンには余裕が有る。今日が駄目でも明日が有る。しかして、ナンバーワン企業は中央にひとつしか無い。だがしかし、オンリーワン企業は片隅にたくさん有る。
西暦二千年を迎えた現在、日本は依然として元気なく、明日に向かって立ち尽くしている。それはしゃにむにナンバーワンを目指して突っ走ってきた者のみが見つめる荒涼と寂寞の風景である。
抜け出す唯一の道は、あらゆるものの中にオンリーワンの人格と個性を見出すことであり、互いに閉ざしてしまった胸襟を開くことであり、互いの異なりを認めることであろう。今その努力と勇気と度量が求められている。
我々の生きる世界を語るに「社会」では「無味乾燥」、「娑婆」とは「殺伐」、今や古くなってしまったが「浮世」という美しい日本語を我々はもつ。浮世とは、さまざまなオンリーワンに彩られた曼陀羅の世界である。
その曼陀羅世界のどこに生き、どこに遊ぶか・・それはまた、みなさん「ひとり」、「ひとり」に与えられた自由な人生の賜なのである。
柳沢 健 2000.01.19
世界に一つだけの花
2003年3月5日に発売された、槇原敬之作詞作曲、SMAPが歌った「
世界に一つだけの花
」は2000年代の日本のポピュラー音楽を代表するヒット曲であるとのことであるが、その歌詞を読むと本稿の内容そのものである。本稿が
地方紙に掲載
されたのはさかのぼるその3年前(2000年1月19日)のことである。共時性とはかくこのようなものであろうか ・・?
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