Linear 舟の民族、安曇族が辿った遙かなる安曇桃源郷への旅路

安曇古代史仮説/安曇野の点と線
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(上)それぞれの歴史ロマン
 「安曇古代史仮説」(安曇野の点と線)の掲載に対し、数多くの皆様方から多大な共感が寄せられました。紙面をお借りして深く感謝申しあげます。

 郷土の古代史研究家の皆様からのご助言、ご指摘をはじめ、多くの読者からの応答に接し、筆者として望外の幸甚に浴した次第です。皆様からのご厚志に対し幾分かのお礼にと願い、安曇古代史仮説後記として、その後のこもごもについてお話したいと思います。

 研究家の皆様からのご意見としては、広大な安曇湖を安曇野に出現させるためには山清路の水位を数十メートルあげなければならず、筆者が言うような安曇湖は存在しなかったという地勢学的見地からのご指摘、「信州のアイヌコタン」の著者、百瀬信夫氏から寄せられた「古代語研究」の視点から探求された安曇湖説、氏の長年にわたる古代史研究文献の数々からは筆者として多くの啓発を受けました。

 一般読者からのご意見の多くを紙面上割愛しなければなりませんが、ともに七年に一度の善光寺御開帳と諏訪大社御柱祭の類似性、御開帳で建てられる一本の「回向柱」と御柱祭で社を囲むように建てられる四本の「御柱」から、馬の民族による諏訪大社に施された舟の民族に対する怨霊封じ込め結界の構図をご指摘され「ハッと」させられましたし、松本の人々が馬刺を食べるのは舟の民族の末裔だからか・・?、韓国クラブへ行く人はタイクラブへは行かず、タイクラブへ行く人は韓国クラブへは行かない理由は舟の民族と馬の民族の遺伝子の違いか・・?等の質問には「ウーン」と唸ってしまいました。

 これらのご意見のすべてが、郷土安曇野を愛する思いから生まれたそれぞれの歴史ロマンであり、かってあったであろう古代安曇歴史空間の扉を開く貴重なキーワードであると思います。安曇古代史仮説の拙稿が、今後展開されるさらなる研究や論議の「きっかけ」となったならば筆者としてこれ以上の喜びはありません。

 今まさに日本のみならず世界を取巻く社会情勢は混迷を深め、未来社会の前途に暗雲が立ちこめている観があります。

 戦後日本は貧困の中から立ち上がり、馬車馬のごとく物質的豊かさを求め、その達成に向けて脇目もふらずに邁進してきたのですが、この幸せの青い鳥を求めて世界中をさまよった旅の果てに見たものとはいったい何であったのでしょうか・・。それはニューヨークの世界貿易センタービルが瓦礫と化した荒涼たる風景であり、日本政治経済のどうしようもない荒廃の風景ではなかったか・・。

 今、人々は疲れ果て、その彷徨の旅から故郷に帰ろうとしているように筆者には見えます。かってこの旅の出発点にあったであろう、大和民族の底流に流れていた貧しくはあっても熱き情感に満ち、臥薪嘗胆の矜持に裏打ちされた誇り高き人格に彩られていた社会への帰郷です。

 おそらく、安曇古代史仮説に寄せられた共感とはこの荒廃した物質世界からまほろばの世界に向けての望郷であり、回帰への願いに他なりません。その共感の多くが年輩者からのものであったことが、それをよく物語っているように思います。

 いつも言われることではありますが、幸せの青い鳥は我が家の窓辺に憩い、さえずっているのです。
柳沢 健 2002.05.16

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