Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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飯で誇りが食えるのか
 人として「死をまぬがれ得ない」とするならば精神の力が最後に残された唯一の「救いの糧」となるであろう。いつからか人は物質的な価値を追い求めることで精神的な価値を見失ってしまった。俗に言われる「誇りで飯が食えるのか」という現代人の捨て台詞がその状況をよく物語っている。確かに人が永遠に生き続けるのであれば精神の力は必要ないのかもしれない。「誇りで飯が食えるのか」はまさにふさわしい。だが誰ひとりとして死からのがれることができないのであれば「誇りで飯が食えるのか」などと悠長なことを言っていられない。まったく逆の「飯で誇りが食えるのか」とならざるを得ないのである。
 天武天皇の長子として生まれながらも謀反の罪によって非業の死をとげた大津皇子は以下の「辞世の歌」を万葉集に遺している。
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
 また漢詩の才にも優れていた皇子は、以下の「辞世の詩」を現存する日本最古の漢詩集「懐風藻」に遺している。
金烏臨西舎 (金烏 西舎に臨み)
鼓声催短命 (鼓声 短命を催す)
泉路無賓主 (泉路 賓主無し)
此夕誰家向 (この夕 誰が家にか向ふ)
 紅顔の若き皇子は誇り高くして自らの運命に殉じ、従容として死におもむいたのである。時は686年(朱鳥元年)、享年24であった。
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