Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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山のあなたの空遠く
 先日見たテレビドラマの中で主人公が「山のあなたの空遠く ・・ 」に始まる詩の一節をつぶやいていた。かいつまんでこの場面の背景を述べれば、この詩をともに読んだかっての同僚は自殺していて、彼はこの詩が「幸せはどこにもない」と言っているのだ考えていた。今を生きる主人公はこの詩が「幸せはきっとどこかにある」と言っているのだと考えている。同じ詩から受けた啓示を互いに逆に解しているのである。
 この詩、「山のあなた」はドイツの詩人、カール・ブッセの「Uber den Bergen」を、日本の上田敏が訳したものであるが、原詩よりも上田敏の名訳によって有名になったものである。それを裏付けるかのような話であるが、かって私が仕事でドイツを訪れたときに、原語で諳んじていたこの「Uber den Bergen」を、ともに仕事をした青年たちに語って聞かせたところ、誰ひとり知っているものはいなかった。もっとも彼らが工学系の技術者であったことにくわえ、日本語なまりの拙い私のドイツ語では、かくなる裏付けが妥当なのか否かは、今となれば疑問ではあるのだが ・・。
 旅と酒をこよなく愛した歌人、若山牧水はこの詩に触発され、以下の短歌を、第1歌集「海の声」(明治41年7月刊)に残している。
幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく
 カール・ブッセは「幸せの住む国」を探しつづけ、牧水は「寂しさの終てなん国」を探しつづけたことでは少々異なるが、ともに人間が求める「永遠の桃源郷」を探しつづけたことには違いはない。その桃源郷が「あるとして生きる」のか、それとも「ないとして生きる」のか ・・ ライフスタイルの違いもあろうが、「ない」と言ってしまっては身も蓋もない。
 以下蛇足ではあるが、もしドイツ人であった私が日本を訪れ、同様に牧水の「幾山河 越えさり行かば ・・ 」を、ドイツなまりの日本語で、ときの青年たちに語り聞かせたとして、はたしてそのうちの何人がこの歌を知っていると答えるのであろう ・・ 昭和は遠くなりにけり ・・ しかして、明治はさらに遠くなりにけりの感慨しきりである。
   山のあなた / カール・ブッセ
              
   山のあなたの空遠く
   幸い住むと人の言う
   嗚呼、我人と尋め行きて
   涙さしぐみ帰り来ぬ
   山のあなたの尚遠く
   幸い住むと人の言う

   (上田敏訳 「海潮音」より)
Uber den Bergen / Karl Busse
                    
Uber den Bergen weit zu wandern.
Sagen die Leute, wohnt das Gluck.
Ach, und ich ging im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zuruck.
Uber den Bergen weti weti druben,
Sagen die Leute, wohnt das Gluck.


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