Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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無常を観じて足を知る
 西暦830年、淳和天皇は仏門各宗にそれぞれの宗義要旨を提出するように勅を下した。それに答えて弘法大師空海は「秘密曼荼羅十住心論」10巻、その要約版「秘蔵宝鑰」3巻を献上した。その「秘蔵宝鑰」序文の最終行に「太始と太終の闇」の詩文がある。
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
 私にとってこの詩文は今なお謎である。過去2回、「第191回 / 生きる意識」、「第308回 / 空海の悟り」で思考をめぐらしてきたがいまだ手応えを得ていない。「生のまえに暗く、死のあとに冥い」では、光明を求める凡人にとってはまったくもって救いがない。空海はこの詩文でいったい何を伝えようとしたのであろうか。
 松岡正剛氏の「空海の夢」は初版、改訂版を通じて何度か読み返してきたものであるが、先日その中からようようその手がかりを得た。それは空海が仏教をこころざした動機が「無常に対するニヒリズム」であったということである。空海の詩、碑銘、上表文、願文などを集成した「性霊集」には「始あり終あるは この世の常の理なり 生ある者は必ず滅す云々」の記述がある。かくなる「空と悲の超越」に行き着いた空海の心境を松岡氏は宮坂宥勝博士の言葉を借りて「無常を観じて足を知る」と表現している。
 「無常を観じて足を知る」とはいったいどのような心境なのであろう。なぜか私には「おもしろきこともなき世をおもしろく ・・ 」という辞世の句をのこした維新の英雄、高杉晋作や、ハードボイルド小説の旗手、レイモンド・チャンドラーが生み出した不朽の名探偵、フィリップ・マーロウのことどもが思い浮かんでくる。定宿の2階で三味線をひきながら夕日に染まった瀬戸内の海を眺めている「晋作の風景」、泥のような眠りから目覚めいつもの流儀で点てたコーヒーを飲みながら窓にあたる朝日を眺めている「マーロウの風景」、これらの風景と「空海の風景」が重なって見えるのである。
 後世、生涯を代表する大作となった「秘密曼荼羅十住心論」と「秘蔵宝鑰」を書き終えた空海は5年後、62歳で高野山に入定している。無常の彼方から発して無常の彼方へ去った「見事な生きざま」であったというしかない。
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