Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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意識の閉塞
 物質文明が繁栄する以前の「荒野の時代」、人間の意識は縦横無尽に自由に羽ばたいていた。人間は物質的に豊かでなかった分、逆に精神的には豊かであったのである。
 人間の生活が利便性に富み、豊かに便利になり、身の回りから「荒野がなくなる」にしたがって、人間の精神生活は閉塞されてきた。情報化時代のコンピュータ社会は一見すると人間精神を自由に羽ばたかせているように見えるが、「コンピュータおたく」と呼ばれる若者たちの生活様式は逆に意識の閉塞状態に向かっている。コンピュータがもつ利便性の機能が、意識を閉塞させていく機能として逆作用するのである。
 今や現代人は物質文明繁栄を謳歌する都市社会で、その利便性の極を追い求め奔走している。だがその中で精神の自由はますます拘束され、意識の閉塞に陥っていくのである。 この状況において、ごく一部ではあるが、その精神の拘束性を感じとり脱都会を計り、田舎の荒野へ移住しようとしている人々もいる。物質的に粗末な生活環境に自分を置くことで、精神の豊かさを回復しようとするのである。
 意識の閉塞は物質の閉塞と異なり「鉄格子」を必要としない。このことがこの意識の閉塞状態を見えにくくし、それからの脱出を困難にしている。見える「鉄格子」であれば、金鋸で切断すれば脱出は可能であろうが、意識が虜になっている「鉄格子」は金鋸では切断できない。
 こうして考えてみると、我々は「物質的荒野を開拓する道具」はさまざまに開発したのであるが、「意識的荒野を開拓する道具」はまったくと言ってよいほどに開発してこなかったのである。
 我々現代人は今、かっての原始人が立たされた「物質的荒野の出発点」と同様に、「意識的荒野の出発点」に立たされているのである。かっての彼らが物質的荒野に対して無力であったと同様に、我々現代人もまた意識的荒野に対してまったくの無力である。
 人類にとって今、最も必要な道具はコンピュータや自動車などではなく、この意識的荒野に立ち向かえる「意識的な道具」である。一般に、この意識的道具は「信念」であり、「思想」であり、「宗教」などと言われるものなのであろうが、ここで言う道具とは、そのような従来からある旧式のものではなく、いまだ人類が手にしなかった、つまり、意識しなかった新たな道具である。その道具が開発された時こそ、我々が意識的荒野の開拓者として、力強い一歩を踏み出す時であろう。
 私はそれらの意識的道具のことを「知的ツール」という言葉をもって表現している。この知的ツールを私は今までに「4つ」開発した。「Square」、「Squarefour」、「Wavecoil」、「Pairpole」と呼ばれる知的ツールである。これらの知的ツールが精神的閉塞状態に陥っている現代人の意識的束縛を解き放つ「いくばくかの力」になることを願っているが、未だこれらの知的ツールは山に囲まれた信州の野の片隅に眠っている。
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