Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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原田芳雄の風景〜映画「大鹿村騒動記」ロケ地にて
 長野県下伊那郡大鹿村を訪れるのはこれで2度目である。十数年も前になろうか、中央構造線博物館を訪れたのが最初である。この村を語るには2つの欠かせぬ特質がある。ひとつは1000kmに渡って日本列島を東西に横断する我が国最長の中央構造線という断層がこの村の地下を貫いていること、他のひとつはこの村が背負った過去の歴史である。
 前者はこの村に地滑り土砂崩れ等の災害を多発させ多くの犠牲者をもたらし、後者はこの村に平家の落人伝説とその流れを汲んでいるであろう300年余り続く大鹿歌舞伎の伝統をもたらした。
 今回は先日(2011年7月19日)に他界した名優原田芳雄が生涯最後の主演作として選んだ映画「大鹿村騒動記(2011年7月16日公開)」に連れて、何故に原田は大鹿村であったのかを自らの目で確かめる気になり訪れたのである。訪れるにあたっては伊那高遠から南下、ゼロ磁場のパワースポットで話題となった分杭峠を越えて大鹿村に至るルートを採った。というのも前回は中央道松川ICから東進、小渋ダムを経由して大鹿村に至るルートを採ったものの、細く険しい山岳道路を落石に注意しながらほうほうの体で走行した記憶があったからである。だが選んだ分杭峠ルートもまた勝るとも劣らない難路であった。大鹿村に至るこれらの難路は平家の落人伝説をさもありなんと感じさせるに充分である。
 大鹿村に到着するとまず原田演じる風祭善がやっていた鹿肉料理の食堂「ディアイーター」を目指した。ディアイーターとはロバート・デニーロが主演した映画「ディアハンター」からもじったパロディであろうが、ロケが終わった今も現実に営業中であった。食堂前の空き地に車を駐め、ディアイーターを眺めていると今にも原田が顔を出しそうな気配が感じられた。食堂をのぞき店内にいたおばさんから大鹿歌舞伎の舞台となった大磧(たいせき)神社を教えてもらう。神社は歩いて10分とかからない眼下に村を一望する高台にあった。参道分岐点の路傍に立てられた掲示板に貼られた映画のロケ写真を見ていると、通りかかったおばさんが、そこをまっすぐ行けば舞台ですよと親切に指をさしてくれた。村人の声を聞いてみたくなって「観光客が多くなってよかったですね」と言うと、「ええまあ ・・ 」とはにかんだ。聞けば村人300人余り総出のロケであったという、それでも足らず飯田市の方からも多数参集したのだという。クランクアップ後、原田がインタビューに答えて、エキストラである村人のほうがよほどプロであって、舞台で演じていて、ここぞというときにあがるかけ声や喝采は300年余に渡り村人自身が演者と観客として培ってきた大鹿歌舞伎の伝統ならではのものであったと回想している。そう言えば大鹿村の予算には歌舞伎興行のための衣装(緞子等)が計上されていることを地方版のニュースであったか見た記憶がある。
 訪れた大磧神社の境内には人影なく戸が立て閉められた舞台が穏やかな秋の陽を浴びて静かにたたずんでいた。毎年春5月に公演される舞台の賑わいを想いながらぼんやり立ち尽くしているうちに、ふと原田芳雄という役者人生に思いが回帰していった。私が最初に原田芳雄を知ったのは井上靖の代表作「氷壁」の主人公、魚津恭太を演じたときであった。もう40年ほども前になろうか、そのときの原田は怖ろしいほどに孤独な目をした無口な青年であった。まさに魚津恭太そのものであった。その後の星霜を経てこの地にたどり着いた原田の目が穏やかなものになっていたことに深い感慨を覚える。映画「大鹿村騒動記」の中で上演された歌舞伎「六千両後日文章 重忠館の段」は大鹿歌舞伎にのみ伝わる演目で、原田演じる平家の落人、景清が源氏の大将源頼朝の重臣畠山重忠にたった一人で戦いを挑むが、最後に源氏の世を見たくないと自ら両眼をくりぬき目から血を流しながら「仇も恨みもこれまでこれまで」と見得を切る。方や頼朝もまた自分を殺そうと襲いかかってきた景清を許す。このくだりは映画のシナリオに呼応したものなのであろうが、それはまた大鹿村の人々が遙かな時空を貫いて背負ってきた歴史への恨みと仇への和解の宣言でもあろう。そしてなにより、演じた原田自らの人生に対する総括であり、この世を去るにあたっての辞世の名セリフでもあった。
 思いがそこまで至った刻、あの野太い原田の声が舞台裏の鬱蒼とした杉木立の中から響くように聞こえてきた ・・ 仇も恨みも これまで〜 これまで〜 ・・・。
 ディアイーターに戻って車に乗ろうと東の空を仰ぎ見ると山脈名ともなった赤石岳(標高 3120m)が秋の西日をうけて天際に聳えていた。数年もすればリニア新幹線がその巨大な岩盤を貫いて伊那谷に顔をだすという。四方を山に閉ざされた落人伝説の邑にも時代の波が訪れようとしている。
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