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ビジョンウィンドウから眺める信濃の四季

窓の向こうに世界が見える〜信州つれづれ紀行から
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小坂観音院からの諏訪湖 / 長野県岡谷市
由布姫の里
 NHKの大河ドラマ「風林火山」に登場した由布姫の墓は一度は訪ねたいと長らく思っていたが、ようよう訪ねてみると、そこに墓はなく供養塔のみが祀られていた。墓は現在もなお所在不明とのことである。
 由布姫はこの地を治めた諏訪氏の頭領、諏訪頼重の娘であり、頼重が甲斐の武田信玄に敗れ自刃した後は、こころならずも信玄の側室となり、武田家滅亡の宿命を背負った「武田勝頼」を生むことになる。その後、25才の若さで生涯を終えるまでの短い日々を幼い勝頼とともに諏訪湖を一望するこの小坂観音院で過ごした。「由布姫」とは井上靖が小説「風林火山」で命名した名であり、長野県上諏訪生れの新田次郎は小説「武田信玄」の中で「湖衣姫」と命名している。私は地名からとった「諏訪姫」という名で記憶してきたが、地元では「諏訪御料人」と呼ばれることが多い。
 十一面観音を蔵した観音堂は由布姫が在世した当時のものであり、由布姫はもちろん夫の信玄も、父の頼重もまた拝したものにちがいない。その観音堂を撮影していると、院の寺人が堂の内陣を案内してくれるというので見せてもらった。由布姫が拝したと同じ間近な視線で厨子を仰ぐことができるなど望外の幸運であった。またその折り、諏訪氏にまつわる数々の古事来歴、あるいは真言密教に関することども懇切な説明をいただいた。本旨をはずれるのでここでは割愛させていただくが、どこかでしっかりと書いてみたいことばかりであった。その後、当院の住職にもお会いし、数々の資料をいただいた。まことにもって感謝にたえない心遣いに出逢った日であった。
 観音堂の北側斜面はあじさい園となっており、7月には800株ものあじさいが満開となるとのことである。遠く諏訪湖を背景としたあじさいの群生はさぞや見事なものに違いない。そして今まさに眼下にする諏訪湖とそれを取り囲む山々の眺めは、まぎれもなく由布姫が見たものであって、その日と同じ風が、湖を渡ってこの高台に吹き寄せているのである。
 数年前、湖の対岸に位置する父頼重が居城とした上原城址を訪れたが、人影も途絶え崖のように急峻な高台に礎石だけが松籟の中でひっそりと蹲っていた。そんな上原城もまた由布姫はここから眺めたことになる。
おのづから 枯れ果てにけり 草の葉の 主あらばこそ 又も結ばめ
(諏訪頼重 辞世の句)
文・撮影 / 柳沢 健
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