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ビジョンウィンドウから眺める信濃の四季

窓の向こうに世界が見える〜信州つれづれ紀行から
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身曾岐神社 能楽殿 / 山梨県北杜市小淵沢町
水にながす
 昨年訪れたこの神社を再び訪れたのは、この神社が掲げる祭祀の明るさに引かれてのことである。その明るさとは ・・ 身曾岐神社の身曾岐(みそぎ)とは「きれい」になることであり、古来日本人は何事も「きれい」「きたない」を考え方の根本に据え、西洋の「善悪思想」と異なり、たとえ仕事で失敗しても、大きな災難が降りかかっても、ある期間、しっかりとみそいで、真新しく「きれい」になれば、また新たな人生を踏み出せると考える ・・ との前向きな姿勢に起因する。 どこか親鸞が提唱した「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という思想に通じているようにも思える。
 ひるがえればこれらの精神構造は日本古来から延々と継承されてきた伝統のようにも思える構造である。日本社会で往々にして採用される「水にながす」という紛争解決策は、イスラエルやパレスチナで今もくり返される中東戦争の和平案には到底採択されるものではないであろうし、そもそもこの解決策の真価を理解できるのは、世界広しといえども日本人ぐらいのものではなかろうか ・・ それは日本人の最も善き精神構造でもありながら、また決定的に悪しき精神構造でもある。
 能楽殿を囲む池には神霊に仕える鯉が棲んでいて、与える餌が「神魚の餌 100円」と書かれた台に置かれていた。訪れた参拝者がその餌を池に蒔くと、瞬く間に大挙して集まってきた。撮影を終えてから、私も同じように餌を蒔いて、しばし彼らにつき合い、その後、本殿にお参りして1年間の身曾岐をすませたのである。
文・撮影 / 柳沢 健
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