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未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事

信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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あづみ野池田クラフトパーク / 長野県北安曇郡池田町
立原道造と上原良司〜春に想う
五月の風をゼリーにして 持ってきてください
ひじょうに美しくておいしく
口の中に入れると すっととけてしまう
青い星のようなものが食べたいのです
 病床で見舞いに来た友人にそう託した詩人、立原道造はその1週間後、1939年3月29日、天国に旅立って行った。 享年26歳であった。 その 「5月の風」 が今日は安曇野を眼下にする新緑の高台を吹きぬけている。
 道造の後輩であった中村真一郎は、彼の風貌を次のように語っている。
 人間であるよりは、はるかに妖精に近いような雰囲気を、あたりに漂わせながら、空中を飛ぶような身軽な歩きかたで、動きまわっていた。 建築家兼詩人の、なかば少年のような面影、いつも半分まじめで、半分は遊んでいるような姿。 あの独特な含み笑い−。 戦争直前の暗い時代だった。 その時代のなかで彼は時代錯誤のように生き、不思議に透明で、夢のように甘美な、純粋詩を、その骸骨のような細い指先でそこらにまき散らしながら、通りすぎて行った。 「街には、軍歌ばかりが、聞こえるようになる」 と、つぶやきながら。
 また高台にはその6年後、1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊、第56振武隊隊員として三式戦闘機「飛燕」に搭乗、沖縄県嘉手納の米国機動部隊に突入して戦死した大日本帝国陸軍の大尉、上原良司の記念碑が郷里を望んで立っている。 その記念碑には戦没学生の手記 「きけわだつみのこえ」 の巻頭に掲載されている 「所感」 と題された彼の遺書からの以下の抜粋が刻まれている。 享年22歳であった。
自由の勝利は明白な事だと思ひます
明日は自由主義者が一人この世から去っていきます
唯願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を
国民の方々にお願ひするのみです
 方や詩人として、そして方や特攻兵として、同時代を駆け抜けていった 「2人の青年」 がこの世にのこした思いとは何であったのか? 「昭和は遠くなりにけり」 の感慨ひとしおである。
立原道造と上原良司については以下の稿をご参照ください。
上原良司の風景〜もうひとつの 「永遠の0」

2022.05


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