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未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事

信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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安曇野遠望 / 長野県安曇野市
ささやかな誇り
 撮られた映像は松本から山越えで安曇野に至る急勾配の坂道からとらえた安曇野遠望である。
 私の安曇古代史仮説 「安曇野の点と線」 が地方紙(松本市民タイムス)に掲載されたのは遡る20年程も前になる平成14年(2002年)2月9日〜17日であった。 以来、安曇野の標号は地元で広く使われるようになり、その後、平成17年(2005年)10月1日、南安曇郡豊科町、穂高町、堀金村、三郷村、東筑摩郡明科町の合併に際し 「安曇野市」 と命名されるや 「安曇野の標号」 は日本全国区の地名として語られることとなった。 古代史の小論に冠した安曇野の表題がその起点になったとすれば筆者としてささやかな誇りを感じるところである。
 だがもともとは郷土出身の作家、臼井吉見が1965年〜1974年に執筆した大河小説 「安曇野」 の表題に発するものであるのだが、いつしか安曇人の記憶の彼方に消え去ってしまっていたのである。 小説 「安曇野」 は新宿中村屋の創立者である相馬愛蔵・黒光夫妻や木下尚江、荻原守衛、井口喜源治ら信州安曇野に結ばれた若い群像を中心に、明治から現代までの激動する社会、文化、思想をダイナミックに描いた本格大河小説5部作で著者年来の理想と情熱を傾注して成った代表作である。 私の安曇古代史仮説 「安曇野の点と線」 はそのバックグラウンドとしての安曇野が背負った古代風景を描いたものである。
 以下は時に応じ季節に応じて安曇野西方の高台に位置するビュースポットから俯瞰した安曇野遠望の 「つれづれの記」 である。
< 安曇野遠望 つれづれの記 >
第038回 「みすずかるまほろば」
第208回 「カリヨンの鐘の音」
第520回 「みすずかるまほろば」
第598回 「早春賦」
第681回 「展望室からの大パノラマ」
第685回 「優しい時間」
第710回 「悠久な歴史をまえにして」

2021.11


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