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未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事

信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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長谷寺 / 長野県上田市真田町長
六文銭
 訪れた日はNHK大河ドラマ「真田丸」がいよいよ放映開始されるという前日であった。長谷寺は真田氏の菩提寺であり、武田軍随一の謀将と呼ばれた真田幸隆夫妻とその子、昌幸の墓がある。
 関ヶ原の戦役の後、初代松代藩の藩主となった昌幸の長子、信之によって松代の地に同じ呼び名の長国寺が建立されているが、こちらには父昌幸と実弟幸村の供養塔がある。
 真田昌幸は幸隆の三男であるが長兄の信綱と次兄昌輝が、天正3年(1575)長篠の戦いで討ち死にしたことにより真田家を継いだ。長谷寺から谷を隔てて数キロ先、対岸の山腹にある信綱寺には、その信綱夫妻、昌輝の墓がある。
 真田昌幸は武田信州先方衆の総帥として活躍した山本勘助と比肩される軍略家である。父幸隆が小県郡に定住するために甲府へ人質として送られた昌幸は幼少の頃よりその才能を高く評価され、信玄の小姓として、勝頼の側近として仕えた。大河ドラマ「真田丸」では幸村に次ぐ準主役である。
 訪れた日は冷気漂う午後も遅くであり斜陽は境内を去って裏山の峰を照らしていた。それでも駐車場には3台ほどの車が駐まっていた。階段をあがった本殿前の境内に立てられた掲示板には大河ドラマ開始まで「あと1日」という赤文字の日めくり札が掲げられていた。真田の郷の人々がこの日を千秋の思いで待っていたことの証であろう。
 幸隆夫妻と昌幸の墓は本殿を裏手に回った山林の中に苔むしてたたずんでいた。幸隆を中心に左に夫人、右に昌幸と並んでいる。墓石の大きさが父、母、息子の関係と畏敬の形をあらわしている。
 驚いたことに墓石の周りは1円、5円、10円等々の硬貨で形作られた「六文銭」が所狭しと敷き詰められている。言わずもがな、それは真田氏の家紋であり、三途の川の渡し賃である。かかる渡し賃を旗印にしたところに、権力の狭間に置かれた当時の真田氏の苦境とそれをものともしない真田魂の真骨頂の何たるかがあらわれている。
 私も見習って墓前の縁石に六文銭を作ったあと、しばし頭を垂れた。おそらくは真田一族の誰一人として舟に乗り遅れることなく悠々と三途の川を渡っていったに違いない。彷彿としてその風景が浮かんでくるようであった。
2016.01

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