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未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事

信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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韮崎平和観音 / 山梨県韮崎市富士見ケ丘
平和観音こそがふさわしい
 この観音様を訪ねるのは2度目である。1度目はもう数年も前になろうか、その時にはJR韮崎駅から観音様が立つ高台への道路が工事中で、ひざもとで眺めることは断念していた。 今回は、先日ノーベル賞を受賞した大村智博士が館長を務める韮崎大村美術館へいく道すがら立ち寄ってみたのである。
 韮崎観音とも平和観音とも言われる韮崎平和観音は関東三観音のひとつに数えられる。その内訳は、韮崎平和観音(高さ16.6メートル)、群馬県の高崎観音(高さ41.8メートル)、神奈川県の大船観音(高さ25.3メートル)である。 韮崎平和観音は完成までに2年2ヶ月を要して昭和36年10月13日に落慶開眼された観音様である。
 釜無川に沿って長野県の鴬木まで続く全長約28キロに渡る七里岩と呼ばれる巨大な屏風岩の最南端部、眼下に韮崎市街を一望し、霊峰富士山と正面に対峙する岩頭に静かにたたずんでいる。
 遠くから眺めると大きな観音様に見えたが、近くではそれほど大きくは感じなかった。おそらくは七里岩の岩頭がそれを大きく見せたのかもしれない。それを証するかのように、この岩頭をしばらく北に行くと、かかる七里岩の要害を利して、武田勝頼が1581年に築いた武田家最後の城、新府城跡がある。1582年3月3日、織田・徳川軍の侵攻を受けた勝頼は本城に自ら火を放って大月の岩殿城を目指したが、ついには天目山に追いつめられ、一族もろともに自刃して果てた。
 これらの事績を背負って立つかのような観音様の表情は、見上げる碧空の中で穏やかに微笑んでいるかのようである。 武田家の発祥と終焉を見守った韮崎の地、時空はめぐり、郷里の誇りとして、街角にノーベル賞に輝いた大村智博士の祝旗がはためく韮崎の地。 韮崎観音の呼び名は、やはり「平和観音」こそがふさわしい。
2015.11

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