Linear ベストエッセイセレクション
三島由紀夫の風景
Turn

ワームホールに跳躍せり
 吉田松陰と三島由紀夫を並び称することにはいささか躊躇がともなう。 両者はある部分ではまったく同質であり、ある部分ではまったく異質である。 だが 「知行合一」 に賭けたその強靱な意志力だけはまがうことなく相似している。 以下は科学哲学エッセイ 「Pairpole」 (平成11年2月28日初版第1刷発行)で描いた 「三島由紀夫の宇宙」 である。
 行動は万巻の書に勝ると言われる。 大統領を狙った一発の銃弾の発射に要する行動の時間はたかだか10秒に満たない。 しかし、歴史はこの銃弾の痕跡を数十年、いや場合によっては数百年留める。 数十年の思考を記録した幾千ページの書物は数日を経ずして忘れられる。 行動の宇宙への影響力と思考の宇宙への影響力の格差である。
 陽明学の根本思想は 「知行合一」 である。 知って行わざるは知らぬに同じという考えであり、「知行は一致してこそ宇宙存在たりえる」 という説である。 大塩平八郎の乱や、近くは市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乱入し割腹自殺を遂げた三島由紀夫などがこの思想の具現者である。 それゆえに危険思想であると非難される面でもある。 三島の著書 「行動学入門」 によれば、行動とは日本刀に似て、いったん目的に向かって鞘から抜き放たれたいじょうはその目的を達しなければ、再び鞘に収まらないものであるとする。
 行動を開始するまでは思考するが開始されるや思考は行動が終了するまで停止する。 それは思考の矢は時間の矢と同じく、今の今では停止する状況に似る。 これを 「刹那」 と言う。 日本刀は刹那の瞬間空間を一閃するのである。 その一閃こそが行動である。
 刹那の意味は刹那では認識されず、意味もまた知覚できない。 行動もまた行動の途上では意識されず、意味もまた知覚されない。 意識され知覚されるのは行動の終了時である。
 日本武士道の教則と言われる 「葉隠」 は、如何に工夫すれば思考が停止するのかを教えたものでもある。 その内容は武士道とは死ぬことと見つけたりという雑念を取り去ったところに発現する 「純粋行動の美学」 である。 日本の歴史風土が生んだ 「狂の時空間」 である。 狂とは現代の語感がもつ否定的な意味ではなく、本来は酔狂、狂言のように純粋精神の 「もの狂い」 を意味する肯定的な言葉である。 ある種の集中心の昇華である。 このもの狂いを体現化した武士道こそは世界の人々が日本民族に抱いた唯一の畏敬の念であった。
益荒男の たばさむ太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて 今日の初霜
 三島の辞世の句は行動の特性と意味をよく表現している。 だが三島は本来は思考の人である。 初期の作品 「金閣寺」 から死の前日完成した 「天人五衰」 まで、限りなく思考した。
 三島は文学者であるとともに、宇宙時空間を意識した物理学者のごとき怜悧な文章で作品を構築した。 その彼が死を前にして、最後にたどり着いた時空間とは、音や動きを失った真青な雲ひとつない空と、その下に広がる緑の松山と、ひざかりの陽を浴びてしんと静まりかえった尼僧院の白い石庭の風景であった。 (天人五衰最終章の記述)
 およそ人間もいなければ、生物の匂いもしない、どうやら時間さえも停止している無機質的な空間である。 生命とはまったく正反対の極に存在する空間である。
 存在と無の関係。 存在は無から生まれ、無は存在から生まれる。 おそらく三島は宇宙のこの根元構造に至ったのではあるまいか。 生きた三島が最後に記述した、この宇宙の断章こそ、我々の存在の意味を発生させ、生命の躍動を可能ならしめる宇宙の 「陰の全貌」 ではなかったか。
 彼はその存在と生命を生んだ羊水の中に没し去ったのである。 この羊水の海にこそ、つぎの存在と生命を再生する宇宙の母性が満ちている。
 彼は最終作を 「春の雪」、「奔馬」、「暁の寺」、「天人五衰」 の4部構成とし、全体の表題を 「豊饒の海」 とした。 この豊饒の海こそ、宇宙生命を生みだす 「羊水の海」 であろうし、4部構成は輪廻転生の波動循環の擬態であろう。 物語の起承転結の中に 「宇宙四季の循環」 をこっそりと織り込んだのである。
 まさに、それは無から波動が生まれ、その波動から宇宙が生まれた物理学的宇宙記述そのものに一致する。 これは単なる偶然ではあるまい。 彼の行動は自殺などではなく、科学理論が突破することができない特異点の突破であったのかもしれない。 彼は物理学が説明する時空のトンネル 「ワームホール」 を見つけ、そのホールに跳躍し、未知なる宇宙に旅立った宇宙飛行士のようである。 そのワームホールがどこにつながり、どこに出るのか。 過去の時空なのか。 未来の時空なのか。 とまれ、彼はそれに賭けたのである。

三島由紀夫の予言 / 第713回 / 知的冒険エッセイ
 三島由紀夫はこの随想を上梓した4ヶ月後の昭和45年11月25日、自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺を遂げた。 毀誉褒貶に富んだ作家ではあったが、日本の未来を見抜いたその慧眼はまさに本物であったことを実感する。
ともしび博物館の庭園にて / 第143回 / 信州つれづれ紀行
 長野県上田市武石にある 「ともしび博物館」 を訪れた私は、上記した 「尼僧院の白い石庭」 の類似情景に遭遇した。 ひざかりの陽を浴びてしんと静まりかえった庭園の風景は、時空が断裂してワームホールが口を開けているようにみえた。

2015.04.30


copyright © Squarenet