Linear ベストエッセイセレクション
藤田まことの風景
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中村主水、永遠なれ
一かけ 二かけ 三かけて
仕掛けて 殺して 日が暮れて
橋の欄干腰下ろし 遥か向うを眺むれば
この世は辛い事ばかり
片手に線香 花を持ち
おっさん おっさん どこ行くの?
あたしは必殺仕事人 中村主水と申します
 テレビドラマ「必殺仕事人」の口上である。本歌はお手玉歌、手毬歌、手合せ歌などとして親しまれている日本のわらべうたであり、歌詞は全国各地で様々であるが、若い娘さんが西郷隆盛の墓参りに行くという内容はほぼ同じであるという。 以下はその歌詞のひとつである。
一かけ 二かけて 三かけて
四かけて 五かけて 橋をかけ
橋の欄干 手を腰に
はるか彼方を 眺むれば
十七八の 姉さんが
花と線香を 手に持って
もしもし姉さん どこ行くの
私は九州 鹿児島の
西郷隆盛 娘です
明治十年の 戦役に
切腹なさった 父上の
お墓詣りに 参ります
お墓の前で 手を合わせ
南無阿弥陀仏と 拝みます
お墓の前には 魂が
ふうわりふわりと ジャンケンポン
 藤田まこと以上に仕事人、中村主水を演じられる役者はいないであろう。藤田まことと言えば中村主水、中村主水と言えば藤田まことということになる。ドラマの筋から愛称を込めて「婿どの」とも呼ばれる。普段は昼行灯と揶揄される八丁堀同心に身をやつし、いざともなれば無類の剣客に変じるキャラクタは藤田まことの幅広い人生経験があって初めて演じられるものであろう。
 しかしてドラマ必殺仕事人には独特の哀愁が漂っている。かくなる哀愁がドラマが企画された当初から含まれていたものか、あるいは回を重ねるに従って生まれてきたものなのかは不明であるが、かくなる哀愁の主旋律があったからこそ、これだけの長きに渡って継続が可能だったのではあるまいか。
 その哀愁は日本社会が未曾有の経済発展をとげる中でうち捨てられていった日本の古き佳き情感であるとともに、直接的には強者の犠牲となって社会の裏側に去っていった弱者への鎮魂歌でもあろう。
 かって私が大阪の街を彷徨していた若き日々、藤田まことは「てなもんや三度笠」等々で人気絶頂の喜劇役者としてネオン街で浮き名を流していた。ときには「キタの雄二か、ミナミのまこと、東西南北、藤山寛美(南都雄二は北新地、藤田まことはミナミを飲み歩き、藤山寛美はどこにでも現れるという意)」と評されたこともあった。 その頃に唱った「十三の夜」は藤田が作詞・作曲したものであるが、人情の機微を熟知したその後の役者人生を予感させるような歌である。
十三の夜
梅田離れて なかつを過ぎりゃ
想い出捨てた十三よ
女一人で生きて行く
娘ちゃん(ねえちゃん) 娘ちゃん
十三の娘ちゃん 涙をお拭きよ
化粧くずれが 気にかかる
庄内離れて みくにを過ぎりゃ
ネオンうずまく十三よ
やけに淋しい夜もある
娘ちゃん 娘ちゃん
十三の娘ちゃん くじけちゃいけない
星に願いをかけるのさ
そのだ離れて かんざき過ぎりゃ
恋の花咲く十三よ
やがていつかは結ばれる
娘ちゃん 娘ちゃん
十三の娘ちゃん もすりん橋を
今日は二人で渡ろうよ
 大阪梅田を北に向かって淀川を渡ればそこが十三である。当時すでに街のにぎわいには陰りが見えだしていたが、そんな街にむかって哀憐の情を込めて「娘ちゃん 娘ちゃん 十三の娘ちゃん ・・ 」を連呼していた若き日の藤田まことのくもりなき笑顔が今も目に浮かぶ。
 藤田は人生で成功を収めた人物を演じるのを好まなかったという。それどころか「出世していく男や偉くなっていく男を演じるのは願い下げである」とまで言った。その理由を「成功者は成功する過程で他人を追い落とすなど人間らしいとは言えないような生き方をするものだが芝居にするとそのような人間らしくない生き方が省略されたり美化されるからだ ・・ 」と述べている。そんな彼にとってみれば仕事人の中村主水はまさに理想の人物像であったに違いない。
 2010年2月17日、藤田まことは中村主水を背負ったまま76歳でこの世を去った。勝ち組、負け組と峻別される現代格差社会をあの世の中村主水はどう眺めているであろうか ・・ 余談になるが藤田の次女、藤田絵美子が唱った必殺仕事人の主題歌「さよならさざんか」は父、藤田まことの人生を浮かべて秀逸である。父親ゆずりの飾り気のない歌唱は〜中村主水、永遠なれ〜を伝えてあまりある。

2016.01.25


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