Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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時間も空間もない世界〜過去と未来は現在に含まれている
 歴史小説は時間軸に沿って構成された 「連なった世界の物語」 であると考えられているが、過去・現在・未来で構成された 「線形時間が存在しない」 とすれば、その連なった世界の運動軌跡もまた存在しない。 それは 「過去と未来が現在に含まれているとする世界」 であって、その構造から考えれば、歴史小説は 「連なった世界の物語」 ではなく 「重なった世界の物語」 であるということになる。 重層的に構成された 「とあるひとつの歴史場面」 から他の 「とあるひとつの歴史場面」 への移行は意識世界に掛け渡された時空トンネルとしての 「意識ワームホール」 を通過することで可能となる。 歴史小説は連なった世界の物語として読むよりは、重なった世界の物語として読まれるべきである。
 光速度は秒速30万Km、ざっと1秒で地球を7回り半する速度である。 物質宇宙ではこれを超える速度が 「存在しないこと」 がアインシュタインの相対性理論の根拠であって、もしこの光速度を超える存在が実証されたとたん確固たる存在であるとした物質宇宙は崩壊してしまう。 他方。意識の速度は無限大である。 意識が発する思いはいくら離れていても瞬時に相手方に到達するように観える。 速度が無限大ということは速度の概念を構成する時間が存在しないことを意味する。 なぜなら速度は移動距離を要した時間で除したものであるからして、速度が無限大ということは即ち移動時間が 0 であることを意味する。 依って、時間は存在しない。 これが線形時間を廃棄したことで導かれた重層的に重ねられた世界構造の風景である。 以上を統合することで以下のような結論が導かれる。
 この世界には 時間がなく さまざまな過去と未来が重層的に重なった 現在だけ がある
 この世界には 空間がなく さまざまな現在が重層的に重なった 仕組みだけ がある
 この 「時間も空間もない世界」 は、理論物理学者デビット・ボームが論じた 「暗在系と明在系で構成された宇宙構造」 に相似する。 曰く。「物質宇宙とは同時系列で重層している時空間が瞬間瞬間に我々が認識できる形で現実世界に象出することで実在場が構築され、この瞬間が連続することで我々に時間という概念を発生させ、時系列で連続している時空間を認識の中に構成させることで存在している世界かもしれない ・・ 」 を彷彿とさせる。
 また映画 「君の名は」 の物語にも 「時間も空間もない世界」 が登場する。 「君の名は」 で描かれた世界は、架空の町 「糸守町」 が隕石の落下で壊滅してしまうその前後の時空間であろうが定かではない。 時として出来事の前であったり後であったりする。 それは過去と未来が現在に含まれているとする重なった世界で構成された 「時間も空間もない宇宙構造」 そのものである。 重なった世界の各々の境界は物理学で言う 「特異点」 であって科学理論が破綻している。 「君の名は」 ではその特異点の様相を 「互いに身体が入れ替わっている少女と少年がそのひとつの世界から別のひとつの世界に移ると前にいた世界のことを忘れて思い出せないという現象」 をもって描かれている。 物語のラストは 「とある現在の時空間」 に戻った少女と少年が都会の片隅にある石段の途中ですれ違う場面で構成されている。 すれ違う2人は互いにどこかでかって出逢ったことがあるような奇妙な感覚を抱き 「どこかでお会いしましたか ・・ 君の名は」 で終わる。
 時間と空間が消失してしまった世界を想像することは物質文明に慣れ親しんできた者にとっては 「非情なる困難」 をともなう。 しかしながら、このような世界を完全に否定し捨て去ってしまうこともまた 「非情なる困難」 をともなう。 畢竟。 この世の不可解はかくも無窮であって、進みゆく 「知のワンダーランド」 は尽きることがないのである。
(※)重層的に重なった宇宙構造 とは
 重層的に重なった宇宙構造の根拠はフランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した 「フラクタル」 と呼ばれる幾何学概念による。 この概念による 「宇宙存在の構造」 ではサイズを拡大していっても縮小していっても 「同じ構造」 が現れる。 それはまさに 「入れ子人形」 のような構造である。 私はその構造法則を 「細部は全体 全体は細部」 と表現している。 重層的に重なった宇宙構造として相当の妥当性をもって納得できる宇宙の内臓秩序(仕組み)である。

2020.12.26


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