Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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軌跡のない日々〜ある思考実験から
 芥川賞作家、小川洋子の同名の小説を映画化した 「博士の愛した数式」 は軌跡が消失した世界を描いた思考実験のような物語である。 物語は天才数学者であった博士(寺尾聰)が不慮の交通事故がもとで記憶が80分しかもたなくなってしまうことから始まる。 その博士のもとで働くことになった家政婦の杏子(深津絵里)とその10歳の息子(吉岡秀隆)との心の交流を描いたものである。 博士はその息子をルート(√)と呼び可愛がる。 博士が教えてくれる数式の美しさやキラキラと輝く世界にふれていく中で2人は純粋に数学を愛する博士に魅せられ次第に数式の中に秘められた 「美しい言葉」 の意味を知る ・・ 詳細は映画を観てもらうとして、本題は以下のところである。
 80分しか記憶がもたない博士は家政婦の杏子が出勤する度にきまって昨日と同じに 「君の靴のサイズはいくつかね?」 と聞く。 杏子が 「24です」 と答える。 「ほお 実に潔い数字だ 4 の階乗だ」 と褒める。 昨日の記憶がない博士にとっては毎日がまったく経験のない 「新たな日々」 なのである。 博士が生きている世界は、まさに 「線形時間」 を廃した 「時は流れず」 の世界であり、「運動を時間で分解できない」 とする 「今の今」 の世界であり、過去と未来が重層的に内蔵されている 「今の今の世界」 である 「現在そのもの」 である。 博士の日々はその内蔵されている過去と未来から実在場としての 「その日(現在)」 に投影された 「場面」 である。 我々はなまじ 「記憶が持続」 するために現実空間に 「ありもしない」 昨日から今日に至る 「日常(運動)の軌跡」 を思い描いているにすぎないのかもしれない。 博士の日常と我々の日常を分け隔てているものは 「はなはだ曖昧」 で頼りない 「意識的記憶」 でしかない。 かく考えれば、映画 「博士の愛した数式」 は 「軌跡のない日々」 を描いた思考実験物語のようにみえてくる。 博士が生きた世界は常人であれば行き着くことができなかった純粋で透明な美しき数式の世界であったが、その投影された過去と未来の場面(日々)の中で 「充分に幸せ」 であったであろうし、その日々をともに過ごした家政婦の母子にとっても、それはまた同じであったに違いない。

2020.12.25


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