Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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益荒男の譜〜三島由紀夫のこと
 以下は三島由紀夫の随想 「果たし得ていない約束 恐るべき戦後民主主義」 からの抜粋である。
 私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。
(中 略)
 二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。
 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
 三島由紀夫はこの随想を上梓した4ヶ月後の昭和45年11月25日、自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺を遂げた。毀誉褒貶に富んだ作家ではあったが、日本の未来を見抜いたその慧眼はまさに本物であったことを実感する。
 第1409回「坂の上の雲」は日露戦争の時代(遡る120年程前)、第1410回「永遠の0」は第2次世界大戦の時代(遡る75年程前)、第1411回「益荒男の譜」は戦後は終わったと言われた時代(遡る50年程前)の話である。それぞれの時代の中で語られた 「心のありか」 をそれぞれの視点で描いたものである。それらの話は私の無造作な抽出によって配されたものであって、必ずしもその時代を代表するものではない。
 三島由紀夫については 「印象的な風景」 がある。 それは三島が戦後まもなくしてアメリカからヨーロッパと見聞の旅をしたときのことである。それがヨーロッパのどこの港であったか忘れてしまったが、三島がひとり埠頭に佇んで港湾に出入りする船舶を眺めていると、船尾に日本国旗を翩翻となびかせて一艘の貨物船が入港してきたという。敗戦の失意をものともせず波を切って進む威風堂々の船影を目にした三島はそのとき涙が流れたと述懐している。
 おそらくここに登場した誰もがかくなる風景に遭遇すれば三島と同じく涙を流すに違いない。なぜならその風景こそが近代日本を背負った彼らの 「壮気」 と 「心のありか」 を象徴するものであったからに他ならない。

2020.07.01


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