Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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現代情報社会の真相(2)〜大いなる賭け
 宇宙を存在させているのは物質とそれにともなうエネルギであることは確かなことである。 だが人間が所有する意識(精神)が宇宙の存在に不可欠であるかどうかは定かではない。 人間が存在しようがしまいが宇宙は存在するであろう。
 だが現代物理学を牽引する量子論(量子力学)ともなると俄然として宇宙の存在に意識の存在が不可欠なものとして台頭してくる。 宇宙のあらゆる胎動を記述するシュレジンガーの 「波動方程式」 における波動関数を収縮させるものは 「意識的観測」 である。 ネズミに意識があるかどうかは分からないが、ネズミが観測したからとて波動関数の収縮は起きず、しかして宇宙は発生しない。 人間的な意識的観測のみが、波動関数の収縮を引き起こして 「新たな宇宙を発生させる」 のである。 狐につままれたような話であってにわかには信じがたいが、近代物理学の根底を構成する量子論物理学とはかくこのようなものである。
 現代情報社会は意識的な情報を土台として構成されている。 冒頭に掲げたように、人間が所有する意識が宇宙を存在させるに必要不可欠な存在かどうかは定かではない。 あるいはこの宇宙にとって人間は 「大いなる蛇足」 なのかもしれないし、人間が意識的に宇宙にあれこれ指図することは 「余計なお節介」 なのかもしれない。
 そもそもあなたが意識的であるかどうかを私はどうして知ることができるのか?
 これは 「他我問題」 と呼ばれる 「他人の心をいかにして我々は知りうるか」 という哲学における超難問である。 しかしてその帰結は 「他人の心を直接に知る方法はありえない なぜなら私は他者ではないからである」 となる。 つまり、他者の意識を知りうる方法が存在しないのである。 同じ課題を哲学者のトーマス・ナーゲルは1974年のエッセイ 「蝙蝠(コウモリ)であるとはどんな気持ちか」 の中で 「いかに詳しく蝙蝠の生理機能について学ぼうと我々は蝙蝠になると本当にどんな感じがするかを知ることはできない」 と述べている。
 互いの意識を知る方法とて存在しないような不確かな意識を土台にして構築されている現代情報社会は物質宇宙と同様に宇宙的存在として実存しているのであろうか? あるとすれば人類は 「真理の伝道者」 であるし、ないとすれば人類は 「虚構の推進者」 である。 かかる解明を迂回させて現代情報社会はさらなる拡大路線を驀進中である。 成否は未来に託した 「大いなる賭け」 というわけである。 終局において 「あれはすべて 錯覚の産物 でした」 などとならないことを願うのみである。

2019.05.17


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