Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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天国の風景
 直面する現代社会は天国なのか? それとも地獄なのか?
 現代社会が物質的豊饒に満たされていることからすれば天国のようにみえるが、その生活が精神的飢餓に満たされていることからすれば地獄のようにもみえる。 他方。 縄文社会が物質的豊饒であったかどうかはともかく、その生活が精神的豊饒に満たされていたであろうことを想像すれば天国のようにもみえる。 その精神的豊饒の風景をベストエッセイセレクション 「縄文アバンギャルド」 の末尾では以下のように描いている。
 国宝の縄文土偶である 「縄文のビーナスが出土した棚畑遺跡」 と 「仮面の女神が出土した中ッ原遺跡」 を訪れた日はうち続く猛暑日のさなかであった。 頭上の陽光は容赦なく照り続け額からは止めどなく汗が流れ落ちた。 遺跡には訪れる人影もなく蝉の声だけが静寂の空間にこだましている。 畢竟如何。 そのとき縄文の時空はめくるめく甦るのだ。 人工物は視界から去り、やがて原始の森が姿を現す。 列島にあった 1万2000年 に渡る悠久な時間の歯車がおもむろに回り始め、もろびとが囲む広場の中央では魅惑の ビーナス と 女神 が妖しく踊り出す。 漆黒の闇の中でかがり火は燃えさかり、豊饒に捧げる 祭り はいつ果てることもなく続いていく ・・ アバンギャルド というのであれば縄文人ぐらい アバンギャルド な人々は他にそう多くはないであろう。 かくこのようにその自立した文化様式を変えることなく 1万2000年 に渡って守り続け得た 「強靱な人間力」 は奇蹟に値する。 それに引き換え、その後を引き継いだ管理社会が始まった弥生時代からいまだ 2200年 ほどしか経過していないのに様相は 「このありさま」 である。
 ゆく道は。 物質的豊饒か精神的豊饒か? デジタル的生活かアナログ的生活か? 成長か安定か? ・・ 人類は今、渺茫(びょうぼう)たる 「球形の荒野」 を前にして立ち尽くしている。

2019.01.25


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