Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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現実としての現在とは(2)〜現在の構造
 現在は過去のように事象が固体化し 「事件」 となった時空間ではなく、事象は流動的で、事件は今まさに 「制作されつつある」 時空間である。 「過去はすべてが変更不能」 であり、「現在はすべてが変更可能」 である。 現在では、私はそれを行なうこともでき、行なわないこともできる。 また私はそこへ行くこともでき、行かないこともできる。 それらは私の自由意思でいかようにも変更可能である。 つまり、私はその 「事件の制作に参加」 できる。 過去に生きる者とは、制作が終了した 「事件(作品)の鑑賞者」 であり、現在に生きる者とは、制作が進行中の 「事件(作品)の制作者」 である。 制作者とは意志し行動する者であり、鑑賞者とは観察し分析する者である。 過去と決別し現在に生きるとは、作品の制作者として事件に参加することであり、事件とは、映画 「踊る大捜査線」 の名セリフではないが、常に現在という流動的な 「現場で起きている」 のである。 従って、現在に生きる者は、かかる映画の主人公である 「はみだし刑事」 のごとく、事件の現場から逃避してはならず、また意志すること、行動することを、決して先延ばしにしてはならないのである。
 未来とは 「事件の計画」 であり、現在とは 「事件の実行」 であり、過去とは 「事件の結果」 である。 過去・現在・未来を時系列で配列した 「線形時間」 としてとらえることは一般的である。 しかし、肝心なその時間を 「目撃した人」 は未だいない。 時間とは事件経過の 「関数」 として人間意識が日常生活の利便性として創作した抽象的な便宜性なのではあるまいか ・・? 仮に抽象的便宜性である事件経過の関数としての時間を採用せずに、未来を事件の計画、現在を事件の実行、過去を事件の結果という 「因果律」 のみで考えれば、この世とは 「さまざまな事件の生々流転」 と還元される。 事件が用意されるをもって未来、事件が発生するをもって現在、事件が消滅するをもって過去という構造である。
 事件が用意されるをもって未来というときの 「事件を用意する」 とは 「事件を想像する」 ことに換言される。 「思考は実現する」 とは成功法則を研究したナポレオン・ヒルの言葉である。 彼は物事が思考という意識作用によって現実に発生することを明らかにした。 正確には思考は実現するではなく 「想像は実現する」 であろう。 さらに詳しく言えば 「強く明確な想像は実現する」 となる。 従って、さまざまな 「物質的な事件の生々流転」 であるこの世は、またさまざまな 「意識的想像の生々流転」 でもある。 つまり、現実空間に発生する 「事件の動機」 とは 「事件を想像する」 ことであり、簡潔に言えば、この世の何事も 「まず想像するところから始まる」 ということである。

2018.12.26


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