Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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即身は瞬間にあり
 それは先日のことであった。 ニーチェが提示した 「永遠回帰説の構造」 が何のことはない 想像と現実をひとつに融合する 「即身」 を述べたものに他ならないということに行きあたった。 以下は 第820回 「永遠は瞬間にあり〜永遠回帰に思う」 からの抜粋である。
 永遠回帰説の構造 とは、今の今という現在を起点として 未来に向かうと過去に至り その過去から再び今の今という現在に回帰する というものである。 今の今という起点は円環上のすべての点であって、そこは 「始点」 でもあり 「終点」 でもある。
 また 「存在と時間」 を著した同じドイツの哲学者ハイデッガーはその 「永遠回帰説」 について次のように述べている。
 未来において何が起こるかはまさに決断にかかっているのであり、回帰の輪はどこか無限の彼方で結ばれるのではなく、輪が切れ目のない連結をとげるのは、相克の中心としての 「この瞬間」 においてなのである。 永遠回帰におけるもっとも重い本来的なものは、まさに 「永遠は瞬間にあり」 ということであり、瞬間ははかない今とか、傍観者の目前を疾走する刹那とかではなく 「未来と過去との衝突」 であるということである。
 それに対する私の見解は以下のようなものである。
 人間以外の生物に過去や未来があるのかはわからないが、私には彼らが今の今というこの瞬間を永遠に昇華させているように観える。 人間より遥かに短い生涯しかもちえない彼らであってもその生はすでにして永遠に行き着いているように観えるのである。 なまじ認識力に優る人間であるがゆえに今の今という足下には目がいかず、遥か彼方の 「ありもしない永遠」 を求め続けているのかもしれない。 つまり、永遠は遙か彼方の先にあるのではなく、今の今であるこの瞬間に 「何を考え 何を為し 何を決断する」 かにかかっている。 それは取りも直さず 想像と現実をひとつに融合する 「即身の構造」 であって、その実現は今の今である 「この瞬間をおいて他にはありえない」 のである。 しかしてその即身の連続そのものが 「永遠性そのもの」 なのである。 依って 「永遠は瞬間にあり」 という定義は 「即身は瞬間にあり」 と改題されても 何らの支障 は発生しない。

2018.09.25


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