Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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縄文アバンギャルド〜縄文のビーナスと仮面の女神
 以下の記述は国宝の縄文土偶である 「縄文のビーナス」 と 「仮面の女神」 が発掘された棚畑遺跡と中ッ原遺跡を訪れたときの所感を綴った紀行文(信州つれづれ紀行)からの抜粋である。
縄文のビーナスが出土した棚畑遺跡(長野県茅野市米沢埴原田)にて
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 縄文土偶として初めて国宝に指定された 「縄文のビーナス」 が出土した棚畑遺跡はいつか訪れようと考えていた。 ようよう意を決して訪れたのであるが 「あまりに粗略な扱い」 に意気は消沈してしまった。 日本国中の人々が羨望の眼差しを傾ける 「縄文のビーナス」 であっただけにその落胆の度はより大きかったのである。
 棚畑遺跡は米沢埴原田の工業団地造成に伴い昭和61年に発掘された茅野市内でも最大規模の遺跡である。 縄文のビーナス は縄文時代中期(約4000年〜5000年前)の土偶である。 縄文時代の集落は何軒かの家がお祭りなどに使う広場を中心にして環状に作られおり、そのビーナス土偶は広場の中の土坑と呼ばれる小さな穴の中に横たわるように埋められていた。 全長 27 cm、重量 2.14 kg である。 大半の土偶が破壊されているのに対してビーナス土偶は完全な形で見つかった。 それがなぜなのかはいまだ不明である。 だがそのアバンギャルドな造形美は妖しくもまた魅惑的であって知らず引き込まれていってしまう。 縄文人とはいったい 「いかなる人々」 であったのか? 想像は時空を超えて広がっていくばかりである。
仮面の女神が出土した中ッ原遺跡(長野県茅野市湖東山口)にて
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 縄文のビーナスが出土した棚畑遺跡を後にしてそこから東に 3 km ほどの位置にある中ッ原遺跡に向かう。 おそらく視力に優れていた縄文人であってみれば棚畑の集落から中ッ原の集落が遠くに眺められたのではあるまいか。 中ッ原遺跡からは2000年8月23日に大形土偶 「仮面の女神」 が出土発見された。 「縄文のビーナス」 の出土が1986年9月8日であるから遅れること14年余りである。 また 「縄文のビーナス」 が国宝に指定されたのが1995年6月15日に対して 「仮面の女神」 が国宝に指定されたのは2014年8月21日とつい最近のことである。 ともに縄文時代中期(約4000年〜5000年前)の土偶である。 中ッ原遺跡における 「仮面の女神」 に対する扱いは棚畑遺跡での 「縄文のビーナス」 のそれと較べて丁重さが感じられ先ほどまでの落胆は少しは報われた気持ちになった。
 仮面の女神は全長は 34 cm、重量は 2.7 kg と土偶としては大形で、顔に仮面をつけた姿を思わせることから 「仮面土偶」 と呼ばれる。 遺跡のほぼ中央に位置するお墓と考えられる穴が密集する場所で穴の中に横たわるように埋められた状態で出土した。 この出土の様子は見つかった場所に 「そのままの状態」 で保存展示されている。 置かれた女神土偶は実物ではないが発見されたときの感動がリアルに伝わってくる。 そのアバンギャルドな造形美は 「縄文のビーナス」 と較べても遜色ない異彩を放っている。
 それにしても同時代に作られた国宝 2体 の土偶が 3 km ほどの近隣圏内で見つかるとはあるいは当時このあたりは文化発信の重要拠点であったのかもしれない。 ひょっとすると 「縄文のビーナス」 と 「仮面の女神」 の作者は同じであったのではないかというような奇想天外な推理もしてみたくなる。
 ひととき縄文の時空に身を委ねたあと 「ふと空を仰ぐと」 あろうことか巨大な入道雲に隠された陽光から放射された光が仏様の光背を紡ぐ後光のように天空に広がっていた。 いまだかって見たことのない光景はあたかも 「縄文のビーナス」 や 「仮面の女神」 が時空を超えて現代に生きる私に 「何事かを語っている」 ように思えた。 それは共時性が発する 「意味ある符号」 でもあったのであろうが残念ながら私にはその符号の意味を解することはできなかった。 沸きあがったイメージはやがて縄文の時空に静かに還っていった。
縄文アバンギャルド
 棚畑遺跡と中ッ原遺跡を訪れた日はうち続く猛暑日のさなかであった。 頭上の陽光は容赦なく照り続け額からは止めどなく汗が流れ落ちた。 遺跡は訪れる人影もなく蝉の声だけが静寂の空間にこだましている。 畢竟如何。 そのとき縄文の時空はめくるめく甦るのだ。 人工物は視界から去り、やがて原始の森が姿を現す。 列島にあった 1万2000年 に渡る悠久な時間の歯車がおもむろに回り始め、もろびとが囲む広場の中央では魅惑の ビーナス と 女神 が妖しく踊り出す。 漆黒の闇の中でかがり火は燃えさかり、豊饒に捧げる 祭り はいつ果てることもなく続いていく ・・ アバンギャルド というのであれば縄文人ぐらい アバンギャルド な人々は他にそう多くはないであろう。 かくこのようにその自立した文化様式を変えることなく 1万2000年 に渡って守り続け得た 「強靱な人間力」 は奇蹟に値する。 それに引き換え、その後を引き継いだ管理社会が始まった弥生時代からいまだ 2200年 ほどしか経過していないのに様相は 「このありさま」 である。

2018.08.10


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