Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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Don’t think, feel〜考えるな、感じろ
 第1200回 「意識制御の流儀」 では意識のコントロールについてあれこれ書いた。 今回はその続きである。
 ブルース・リーの名言 「Don’t think, feel (考えるな、感じろ)」 は第823回 「燃えよドラゴン」 の中で掲載した。 現代人が直面している意識的困窮からの解放に向けた道筋はこの言葉の中に明瞭に顕れている。 それは現代人が失ってしまった人間存在としての何たるかである。
 科学的合理性は考えることを強力に推進する。 だがそのことによって現代人は物質還元主義一辺倒に陥ってしまった。 結果。人間は感情を失った無機質なロボットのような存在に成りつつある。 いや成ってしまったことで今度はその無機質なロボットのような存在が生身の人間を責め立てる。 それは科学的合理性に準拠した 「こうしなければならない」 という脅迫観念的な拘束であって、それから逸脱すれば人間失格に陥ってしまうかのような圧迫感をもって思考を制御する。 これでは現代人の大半が人間性を喪失してしまっても何ら不思議ではない。
 救済への道は科学的合理性最優先の思考を停止することである。 「考えるな、感じろ」とはその「マントラ(真言)」として有効である。 それは法然が只々「南無阿弥陀仏」を何度も何度も繰り返し念仏するだけで救われると民衆に呼びかけたことに相似する。 法然はそれによって人間の中に潜在している(眠っている)人間力を有効に引き出したのである。
 事ここに至っては、もはや科学的合理主義に絶大な信頼をおいてはならない。 それは人間が生きていくための道具であって「核心」ではない。 「考えるな、感じろ」とはそのことを偏りのない「中庸(ニュートラル)」のスタンスで判断せよと言っているのである。
 科学的合理性がいかなる脅威をもって迫っても微塵も動じてはならない。 釈迦が目覚めた者になるとき感性的世界の最高の支配者である魔王マーラが何度も釈迦を誘惑している。 それはキリストの場合も同じであって、悪魔(サタン)が「お前を地上世界の支配者にしてやろう」とキリストの耳もとでささやいた。 だがキリストは「サタンよ退け」と叫んでその誘惑に打ち勝ったのである。
 かくこのような葛藤を経てはじめて人は釈迦の「天上天下唯我独尊」の境地に至ることができるのである。 かく観れば「考えるな、感じろ」とは神が与えた福音のひとつなのかもしれない。

2018.05.17


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