Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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礼なき能力主義の末路〜野獣死すべし
 かっての日本の給与システムは「年功序列型」が主流であった。能力よりも年齢と経験の序列を重んじたのである。社員のモラルは和気あいあいとしてひとつの家族のように運命共同体的であって弱者は強者が支えた。
 そこに維新における黒船のごとく能力主義が上陸してきた。能力主義とは年齢や経験に支えられた年功よりも備わった能力こそが重要であるとする考えであって、今や国際標準(グローバルスタンダード)となっている。ともなって給与システムは年功序列型に能力型が付加されたハイブリッド型を経て、瞬く間に能力型そのものとなった。
 呼応するように労働者の権利を擁護してきた労働組合制度も弱体化していく。その背景にはあるいは国家経済システムの共産主義から資本主義へのシフトもその因をなしたのかもしれない。
 能力主義は確かに経済効率を向上させることに成功したが、反面で人と人を分断させて格差社会を生むという弊害も同時にもたらした。「能力さえあれば何をしてもいい」というがごときのむき出しの競争心(あるいは敵愾心)は、強者が弱者を助けるどころか、弱者を踏み台にして強者が抜きんでようとする。同じ会社の社員であっても家族どころか、倒さなければならない油断ならない競争相手である。これでは経済成果どころか、そのまえに人間そのものが疲弊して倒れてしまう。能力さえあればいいという能力至上主義はこのままではやがて行き詰まってしまうであろう。
 能力を競うこと自体は人間が向上するにおいて必要なことであって、すべてが否定されるものではない。重要なことはその競争に「礼(礼儀)」をもってあたるという「心の姿勢」にある。その心は強者には「なくてはならぬ資質」であって、古来より日本民族が受け継いできた精神文化(美学)である。例えて言えば、それは「武士の情け」という益荒男ぶりであり、激闘の中で発揮される「フェアプレー精神」のようなものである。
 礼なき能力主義など単なる野獣や盗賊の生業であって、人間である以上は人としての「品格」がなによりも必要で不可欠なのである。

2017.09.04


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